宿毛市

岩村 高俊

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岩村高俊


岩村高俊は通称を精一郎と呼んだ。英俊(礫水)の三男てとし宿毛に生れた。長兄は左内通俊、次兄は林有造で共に大臣を歴任した偉兄である。家は代々邑主安東家に仕えた。慶応3年、尊王佐幕の両論がいよいよはげしくなったころ、彼は居ても立っても居られず、郷里を出でて京都に走り、薩摩や、長州の尊王派の志士と交わって、大いに活躍したものである。その年の11月、坂本龍馬と中岡慎太郎が京都近江屋で暗殺されたが、これを知って高俊は大いに憤慨し、その下手人をせん議して復讐をしようと考えた。そうして主謀者は紀州和歌山藩の三浦久太郎であるという情報を得ると、同郷の大江卓とはかり、陸奥宗光、中井庄五郎たち同志16人と共に、油小路花屋町の天満屋にこれを襲ったが、警戒が極めて厳重で、これを傷づけたのみで、目的を果すことが出来なかった。

慶応3年12月には鷲尾侍従に従って高野山に義旗をたてさかんに和歌山藩をけんせいし、ついにこれを錦旗に味方さす偉勲をたてた。こえて慶応4年正月に討幕軍の編制に当り、彼は東海道先鋒総督岩介具定の輩下に属して江戸に向かった。その年の4月には認められて監察使軍監を仰せ付けられ、信越奥羽各地に転戦した。特に長岡藩総督河井継之助が固守していた長岡城の戦いは維新戦史に残る大戦で、この城を陥れたことによってその後の官軍の追撃は極めて容易になり、彼は偉功によって禄200石を賜わった。

明治4年4月2日有栖川宮熾仁親王の家令を仰せつけられたが、同年11月には宇都宮権参事となり、6年には神奈川県権参事となった。明治7年兄通俊が佐賀権令を去るに当り、内務卿大久保利通は、通俊に対してその後任の推挙を望んで来たが、通俊は憶すること無く直ちに弟の高俊を推薦したので、驚いた人もあったが、通俊の人物を十分信頼している大久保内務卿は、これをいれて、直ちに高俊を佐賀権令(今の県知事)に任命した。高俊は兄の推挙の通り大いに治績を挙げた。特に前の参議江藤新平が政府に反対ののろしを挙げ、いわゆる佐賀の乱を起した時は高俊は着任早々であったが、迅速敏活に行動を起し、乱をいち早く平定することが出来た。

大久保内務卿もこの高俊の人物を見込んで、当時問題が紛糾していた台湾事件について、交渉のため自ら清国に使するに際し、高俊を随員としてつれて行くことになり、彼は大久保をよくたすけて使命をまっとうすることが出来た。こうした引き続いての功績により愛媛県令に抜てきされ、ここでは在任6年とじっくり腰をおちつけて治績が大いに上った。特に高知県との県境決定は彼がのこした仕事の1つということが出来る。

藩政時代から土佐と伊予との国境にあいまいな所が多く、両国間ではこれまでたびたび争ったことがあった。特に正保年間から万治年間に至る13年間は、その紛争が白熱化したので、当時の奉行野中兼山がその解決に奔走したことは有名な話である。その後も国境線では時々両国人の衝突事件が起きて、いつも物議をかもし、これが両国の互いに悩みの種であった。

高俊が愛媛県令となると彼は両県のこの問題を解決するため、英断を以って篠山は全部を愛媛県に、そうして沖の島は全部を高知県に属せしむることにして解決し、ここにおいて県境問題は終りをつげたのである。

明治13年には内務卿書記官に、16年には石川県令、23年に愛知県知事等に歴任したが、病を得て一時退職した。快復後25年に貴族院議員に勅選され、その後28年には再び地方官に返り咲き、福岡県知事、30年には広島県知事を拝命し共に治績が大いに上っている。

31年には錦侯に補せられ、維新以来長年にわたる功績のため男爵を授けられて華族に列した。晩年は貴族院議員として国政に奉仕していたが、明治38年12月京都より議会に出席のため上京中病にかかり、翌39年1月2日、日本橋区日本橋病院において逝去した。享年62才。

危篤の報が天朝に達すると、特旨を以って従二位に昇叙、勲二等旭日重光章を賜わり、葬儀には更に勅使の御派遣があり、幣帛並びに祭資を賜わった。けだし静かに眠る故人としても定めし満足の事であっただろうと考える。長男透は美術学校教授として、また文展審査員としてわが国屈指の美術評論家である。

岩村高俊 岩村高俊筆
岩村高俊 岩村高俊筆
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