平田町戸内にある高知坐神社は延喜7年(907)に撰された延喜式神名帳にのっている土佐21社、 幡多では3社の中の一つで、由緒ある神社である。本殿は桁行二間、りょう間二間の三間社流れ造りで、 内陣と外陣に分かれているが、本殿は三間四面の覆屋の中に納められ、 外部からはガラス越しに見られるだけで内部を詳細に見ることはできない。
現在の本殿は、棟札によると昭和5年(1968)、 宿毛の七代領主・山内源蔵氏篤と嫡男・氏益が武運長久子孫繁昌を祈って重修(重ねて修理する)したものである。 本殿の象鼻、蟇股などの彫刻は江戸初期の制作と思われ、 豪華絢爛を極めた桃山時代の彫刻のおもかげを今に残している。 昭和30年高知県保護有形文化財に指定。