宿毛市立宿毛歴史館

宿毛の史跡その5

伊賀(宿毛山内氏)邸跡

伊賀(宿毛山内氏)邸跡 土佐藩祖山内一豊が土佐に入国するにともない、一豊の姉の子である可氏に宿毛六千石をあたえました。
可氏はまず松田城に入城しますが、一国一城令によってとり壊され、その後は松田城があった小山のふもとに邸宅をかまえて、そこで政治をおこないました。


宿毛城(松田城)跡

宿毛城(松田城)跡 宿毛の北東を流れる松田川西岸の小山にあり、長宗我部氏が宿毛を勢力下におさめた時には長宗我部右衛門大夫が入城して西の拠点としました。
関ヶ原合戦の後、山内氏が土佐にはいり、山内可氏に宿毛があたえられると、まず最初にこの宿毛城にはいりました。
しかしその後幕府から一国一城令が出されたため、それにしたがってとり壊されました。


河戸堰

河戸堰 宿毛の北東を流れる松田川に作られた堰で、江戸時代前期、土佐藩奉行として強力に政治をすすめた野中兼山の指揮によって構築されたと伝承され、兼山独特の糸ながし工法とよばれる湾曲した形をしています。
平成7年、堰の改修にともなう発掘調査がおこなわれ、兼山当時の遺構は発見されなかったものの、度重なる改修作業の跡が現れ、兼山当時から脈々とつづく土木技術が明らかとなりました。


竹内綱・吉田茂邸跡

竹内綱・吉田茂邸跡 竹内綱
吉田茂の実父。板垣退助を援けて自由党を創立し、代議士当選三回、京釜鉄道建設に尽力しました。
高知工業高校の創立者。

吉田茂
綱の五男で吉田健三の養子となり、戦後外相を経て五度吉田内閣を組織し、日本の復興に尽力しました。


宿毛貝塚

宿毛貝塚  宿毛貝塚
宿毛貝塚は、縄文時代後期(約3,500年前)の貝塚で、昭和32年7月27日に国の史跡に指定されました。
ここからは縄文土器及び石器、獣骨、魚骨、貝類などが出土し、人骨も発見されています。
明治後半に、郷土史家寺石正路によって初めて学術的に紹介され、それ以来四国西南部に所在する貝塚として、全国的にも有名な貝塚となりました。
また、明治24年8月には、高知県教育委員会によって発掘調査が行われ、東と西の二つの貝塚をもつ四国で最大規模の貝塚であることが確認され、東貝塚からは縄文人骨が発見されました。
東貝塚と西貝塚は約60m離れた場所にあり、住居跡等はまだ未発見ですが周辺に形成されていることが考えられます。
なお、指定地のうち西貝塚については昭和53年度に公有化され、昭和61年度及び62年度に、史跡保存修理工事が実施され、整備が図られました。


▲ページのトップへ

前のページに戻る