宿毛市立宿毛歴史館

堂の前相撲由来

その1 宿毛大橋の下の川原では、年に一回盛大な相撲大会がひらかれていました。
堂の前の相撲といって、なかなかにぎやかなものでした。

この相撲のおこりには、ふるい、かなしい言い伝えが残されています。

享保(きょうほ)の頃といいますから、今から二百五十年ほど昔のことです。



その2 徳川時代(とくがわじだい)も八代吉宗(はちだいよしむね)が将軍の職についていた頃のことです。

近江(おおみ)の国(今の滋賀県)の人で、仙吉先師(せんきちせんし)というお坊さんがありました。
仙吉先師は、大峯山(おおみねやま)に登ったり、お四国巡り(しこくめぐり)を二十回もしたりして、あちらこちらと おまいりを続けながら、修行していました。
宿毛を通るときは、いつも宇須々木の森下というお家に宿をとっていたそうです。

ちょうど二十一回目の四国れい場巡拝(じゅんぱい)の道中だったそうですが、いつもお世話になってきた森下の お家を出るとき、虫が知らせたものでしょうか、ご主人にむかって、もし道中自分の身の上に変わったことがおこれば、 必ず知らせるから、と言って出かけました。



その3 ある日主人は、鉄砲をかついで猟にでかけようとしました。門口(かどぐち)まで出かけた所、どこから飛んで来たのか 一羽の鳥が鉄砲の先にとまりました。
なにか不吉なものを感じた主人は、その日はとうとう山に行かずに、家ですごしてしまいました。

宿毛まできた仙吉坊さんは、体の調子をこわして草庵(そうあん)の中で休んでいました。
そこへ通りかかったのが、伊部喜兵衛というさむらいです。喜兵衛は刀のためし切りといって、草庵から先師をひきだして切り殺してしまいました。 鳥はそのことを森下のお家に伝えにいったおつかいだったのです。

仙吉先師が切られた夜、宿毛の町におそろしいことが起こりました。
非道な人間へのみせしめか、それともいかりのあらわれか、怪しい火が町中をあちらこちらと飛びまわり、大火事がおこったのです。



その4 盗人(ぬすっと)がいろいろなものをさらっていきました。
こんなことが度々(たびたび)起こっては大変ですから、宿毛の殿様は祈願所(きがんしょ)である金竜寺(きんりゅうじ)の 住職(じゅうしょく)行寛和尚(ぎょうかんおしょう)にお願いして、境内(けいだい)に仙吉先師をおまつりしてもらいました。
怪火(いさりび)の出ることはおさまりました。

それからこちら、牛の瀬の人達がおもになって、先師をなぐさめ宿毛の町を火災から守ってもらうために、相撲の行事を するようになったということです。

お年寄り達のなかには、今でも火事が起こると堂の前の相撲をやめたからだという人があります。
昔と今では周辺の様子もだいぶんちがっていますので、以前はもっとしもの方で行われていたのかもしれません。



その5 堂の前と言う言葉は、その当時から今の荒瀬のお地ぞう様をおまつりしてある一帯、金竜寺というお寺であり、 その建物お堂の前という所から出てきたものではなかろうかと思っています。

宿毛の町の火鎮祭でもあった行事もすたれました。
さみしいことだと思っている方々がまだまだたくさんおられることと存じます。



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