宿毛市立宿毛歴史館

番所話し

その1 橋上の奥奈路(おくなろ)じゃあ大深浦(おおぶかうら)、小川なんかにゃあ番所ちゅうとこがあって、関所とついなとこじゃが 道中する人を取締(とりしま)る仕事をしよった。
槍(やり)や鉄砲は勿論(もちろん)のこと、そでがらみや、つくぼうさすまたちゅう様なもんがいつでも使えるようにかまえられちょったそうな。

小川番所もかなり昔からあったらしいが、山本兵庫ちゅう人がえらいてでおって、そのあと岡崎氏が代々ひきついで とりしきって来たちゅうこっちゃ。
兵庫の墓は、番所跡の近所の山んなかにも今も残っちょる。

ある晩のこと、川向こうをなんとも判らん白いもんがちらちらする。



その2 こんな時分にどうも怪しい。そこで鉄砲をかまえて一発どんとやった。
たしかに手ごたえがあったので、川を渡ってたしかめると、そこにゃあなんと一人の六部(ろくぶ)がたおれちょったと 言うこっちゃ。

六十六部(ろくじゅうろくぶ)言うて法華経(ほけきょう)いうお経を六十六写ひて、日本国中に六十六ヶ所あるちゅう 霊場に納めてまわるお坊さん。
家々の門口に立って、銭米(ぜにごめ)をもらいながらあちこち修行巡礼(しゅぎょうじゅんれい)するお坊さん。
いろいろあった様じゃが、こんな坊さんを六部ゆうて呼びよった。六十六部を略ひた呼び方とも言える。



その3 うたれた六部がどっちじゃったか判らんが、おそらく通行手形(つうこうてがた)を持たんずく夜にまぎれて番書抜け するつもりで川向こうのあぶない道を通りよったんじゃあなかろうか。だいたいが遍路衆(へんろしゅう)なんか大深浦 より他は通っちゃあいかんことになっちょったというこっちゃが。

土地の年寄りの人らあは、今でもこんな坊さんをながそでさんゆうて呼ぶが、白い衣のそでがひらひらするのがあだんなって、 この六部命を落としたもんではなかろうか。

六部の墓は、番所近くの炉端(ろばた)に建てられちょったが、国道工事の関係かなんかで移しかえたということで、今じゃあ山本兵庫の手前に 建っちょるが墓の前にゃあ正白坊ちゅう名を刻んだ石がそえられちょる。



その4 おそらくこれにまちがいなかろうか、それにしてもなにが故にの番所抜けじゃったがじゃろうかのう。

その後いろいろあったがじゃろう。土地の人らが地蔵をまつって六部のあとをとむろうた言うこっちゃが、 その地蔵も刻まれた字がなかなか読みとれんとこがあって、つながりの程がつかめぬくい。

それにしても、番所役人の目ちゅうもんが予想にましてきびしいもんじゃったことが、うかがえる話じゃあなかろうか。
あれこれ、にたりよったりのことが、あちこちの番所じゃ関所であったんじゃあなかろうかのう。

役人の心得(こころえ)

その一 役目を果たす

その二 つねにまじめに

その三 おきてをまもる



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