宿毛市立宿毛歴史館

七人みさき

その1 昔々、たくさんの神々がおられました。
大きな仕事を受け持ち、勢力の強い神様はたくさんの神様をしたがえておりました。
強い神様のさしずで働く神々の中には御先(みさき)と呼ばれ、露払いのような役目を受け持つものもありました。

なにかのことで強い神様の手許(てもと)から離れて、自分勝手なことをする神々もありました。そんな神々のなかには 野山をさすらい、人々にとりついて困らせる悪霊(あくりょう)になるものもありました。



その2 そうした悪霊にとりつかれて変死(へんし)する人もおりました。
変死した人の霊は、又みさきになって野山や川をさまようというのです。
宿毛の町続きにも、宇須々木への道中にも、山一つ越した小山の里にもそうしたみさきが現れていたという場所があります。

水死した人七人が連れ立ってさまよい、生きた人七人をとり殺してやっと成仏するという言い伝えもありました。 こんな話にまつわる七人のみさきですが、水死した人の霊とだき合わせて考えると、水辺のとびでた所など現れるのに 都合がよいのではと思いますが、そうとばかりは限られておりません。



その3 山の中にも七人みさきの名が残されておりました。
言い伝えられるように水死した人とのかかわりがありそうなみさきのあり、水死とは全く関係がないと言えるみさきもありと いえそうです。
その一つをお話してみましょう。

林中ひときわ目立つ桜の老木、その根かたはしめなわでかざられていました。
ときの宇和島藩家老(かろう)の身内の女達は、政変(せいへん)をのがれて土佐へ道中をいそいでいました。 いくら身をやつしても致し方ないことで、国境を固める番所の侍達に見破られ、とらわれた七人の女が老樹のもとで 打ち首の刑に処せられたのです。



そ4 それからというもの、その場所に、夜目にも白く、白衣の女七人の姿が現れては消え、消えては現れるようになりました。
土地の人々は、その白装束(しろしょうぞく)を七人みさきと呼びました。
姿を見た人や、噂を聞いた人々が寄り集まって、年々手厚い供養のまつりを続けました。

そうしたことで、みさきの霊もなぐさめられたものか、幸いなことにとりつかれる者もなく今に至っておると 古老が話してくれました。



その5 宿毛の町続きのその場所は、夏ともなれば子供達のよく出かける所ですが、おじいちゃんやおばあちゃんから、
「あそこで泳いだらいかん。」とか「夕方までおってはいけない。」とか、注文をつけられたことを覚えておいでの方も おられようかと思います。

ときによっては、七人みさきもかっぱやえんこと同様に、水難防止の一役をかわされる立場だったととも言えそうです。



▲ページのトップへ

前のページに戻る