宿毛市立宿毛歴史館

楠山(くすやま)

楠山

松田川の上流、篠山の東の山すそに位置する楠山は、宿毛市内で最も早く人々の住みついた所で、 笹平、尾返、奥藤、池ノ上には縄文時代の早期(九千年前)から中期(五千年前)にかけての遺跡がある。 当時は、山に多くの楠が自生していたことから現在の楠山の地名がついたと考えられるが、 楠は樟脳の原料となるため、幕末頃に伐採せられ今はほとんど残っていない。

江戸期、篠山にある観現堂と観世音寺が伊予領か土佐領かで大騒動が起り、 ついに幕府の法廷での争いとなった。土佐藩の奉行、中野兼山はその争いで陣頭指揮をとったが、 その間楠山に八日間も滞在し、篠山にも登って実地調査を行っている。

県境の出井まで道路ができたのは、大正十二年のことで、それまでは木材や木炭は、 すべて筏と船で宿毛へ出荷された。昭和三五年には一八三戸、七〇六人も居たが、 笹平、下藤、奥藤等の戸数が激減し、昭和五五年にはわずかに六六戸、一六八人の小集落となっている。

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