宿毛市立宿毛歴史館

藤原 純友の妻

純友城跡

千年余り昔、瀬戸内海や豊後水道に海賊が横行したため、朝廷では紀叔人(きのとしんど)を伊与守として海賊の取り締まりをさせた。
その時純友は伊与掾(いよのじょう)であったため討伐にあたり平定することができた。
しかし、純友は海賊を手なずけ宇和島港外の日振島を拠点として朝廷に反旗をひるがえした。
天慶四年(941)朝廷は船二百余りで日振島を襲撃した。
純友は家臣の寝返りで敗北し九州の大宰府に向かって逃げ、宿毛の松尾峠近くにある純友城に妻を隠したのであった。
純友は博多湾の合戦で敗死、子の重太丸は捕らわれ京で斬られてしまった。
二人の死を知った妻は夫と子の名前を呼び続け、同年八月十六日に亡くなったのである。

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