宿毛市立宿毛歴史館

和守さん(2)

和守神社

お那阿・お与喜の遺骨は村人たちが貰い受け、和田村の堂ヶ谷山に葬った。
それから後、種々の怪談がささやかれるようになり、そのうちに次の領主となる倫氏の子二人が死亡した。
節氏は恐ろしくなり十三回忌の法要を営み、墓を館の見えない宿毛の東福寺西山に改葬した。
その後も次々と子供たちは亡くなり、血縁が絶えると考えた七代領主氏篤がかつて牢獄のあった地に和守明神を建立した。
それでもたたりは続いたのか、宿毛山内家の血脈は絶えてしまった。
これらの不幸を領民たちはたたりだと考えたが、実際はけんを競い胸までおしろいを塗った女性たちの乳、鉛毒による死亡と考えるのがよさそうである。

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