宿毛市立宿毛歴史館

沖の島と赤穂義士−苗字の創設−

沖の島と赤穂義士

苗字は武士階級の特権であり、農漁民や商人職人などは苗字が許されていなかったが、明治三年(1870)に平民も苗字が許され、翌年には戸籍法ができて苗字をつけることとなった。
(強制されたのは明治八年)沖の島の母島で、昔から苗字のあるのは庄屋の沢近家だけであり、島の人たちはどんな苗字をつけてよいか分からなかったため庄屋に相談した。
庄屋は自分の家をよく助けてくれた者には、自分の苗字である沢近をひっくり返して近沢とつけた。
そして、家が大きな谷にある者には大谷、お宮の近くの者には宮本とつけ、また久保浦から久保といったように地名からも苗字をつけた。
しかし、そのうち種切れになってしまった。
その時思い出したのが忠臣蔵であった。
大石良雄から大石、堀部安兵衛から堀部、間重次郎から間といった具合に苗字をつけた。
こうして沖の島に赤穂義士が誕生したのであった。

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