宿毛市史【古代編-宿毛村の誕生-】

宿毛の名称

松田川の河口に形成される宿毛平野は、3、4000年前の宿毛貝塚の時代には、遠浅の海であった。それが、年々の洪水による土砂の堆積によって、その海は浅くなり、やがて砂州ができ、次第に宿毛沖積平野を形成していったのである。
この砂州のことを、「すか」というのであるが、宿毛の沖須賀、仲須賀、浜飛鳥、坂ノ下の塩須賀などは、この砂州につけられた地名であったのである。
しかし、これらの沖積平野も、満潮の時は潮水のうちよせる状況で、一面に葦が生いしげっていた湿地状態の所が多かったと考えられる。
あしの枯れたのを、古代の人々は、「すくも」といい、あしを燃やすことを「すくも焚く」燃やした火を「すくも火」といって、よく歌に詠んでいるが、枯れたあしの多くある所もいつしか「すくも」と呼ばれるようになり、宿毛の地名の起源になったのではなかろうか。
次の歌は、すくも火を詠んだ、他の地方の歌であるが、古代の宿毛の姿を連想させてくれるものである。『大日本国語辞典』並びに『大言海』には次の歌がのせられている。

 難波女がすくも焚く火の深き江に上に燃えても行く螢かな (新勅撰集)
 津の国のなにはたたまく惜しみこそすくも焚く火の下にこがるれ (後撰集)
 すくもやく三保の浦人ふななれていくそのなつをこがれきぬらん (曽丹集)
 すくもたく新島守が夕けぶりきえだにあへず身をこがしつつ (新千載)
 身を燃やすことぞわりなきすくもびの煙も雲となるを頼みて (平中−一八)
 いつまでとあまのすくも火あぢきなくたたぬ煙の下にくゆらん (建長3年9月13夜影供歌合)
 消えねただあまのすくも火下もえの煙やそれと人もこそとへ (新後拾遺)

すくもの意味の一説に藻屑がある。これは藻の屑で、海岸に打ち上げられた雑多な海藻のことである。宿毛沖積平野の形成からいって、藻屑をすくもといったので「すくも」の地名ができたと考えられないこともない。先にあげた歌のなかの、「いつまでとあまのすくも火あぢきなくたたぬ煙の下にくゆらん」などは、燃えにくい海藻をくすらせながら燃やしている情景がよく出ており、この歌はあしではなく藻屑を燃やしているものとも考えられる。
しかし、宿毛の近くに藻津という地名があることから考えると、藻屑のことを、この地方で「すくも」といったかどうか、一応疑問が生じてくる。藻屑は昔からもくづといったのではなかろうか。
また昔は海藻を焼いて塩を製したのであるが、その海藻のことを「すくも」といったのではないかとの説もある。しかし、これは藻塩のことで、製塩に使う特殊な海藻のことで、藻屑とは異なるのである。
このように考えると、葦の生いしげっていた所に「すくも」の語源を求めるのが、一番よいのではなかろうか。
宿毛の漢字は、後代に「すくも」の音にあてはめたもので、大部分は宿毛と書かれているが時に宿茂と書かれた古文書もある。例えば、宿茂絵図などはそれである。