宿毛市史【古代編-式内社と仏教-】

僧空海(弘法大師)と宿毛

四国は遍路の国であるとさえいわれている。四国遍路のはじめは、空海が弘仁6年(815)42才のやく払いのため始めたと伝えられている。
四国霊場八十八ケ所のうち、土佐国内には、東は室戸岬金剛項寺(26番)、中に高知市五台山竹林寺(31番)を経て、西の果て宿毛市寺山延光寺(39番)など、16寺がある。
これらの寺々は、僧行基や空海によって、創建または中興になったものと伝えられている。
空海(774〜835)は、奈良朝末期の宝亀5年(774)、讃岐国屏風浦(香川県仲多度郡)生まれ、仏門に入り、青年のころ阿波の大滝嶽や土佐の室戸岬へ来て修業し、30才の延暦23年(804)遣唐使に従って入唐、長安の青竜寺にて灌頂を受け、200余巻の経典を携えて帰朝し、弘仁7年(816)高野山に金剛峯寺を造営、傍ら京都で密教を修めて真言宗を創成した。晩年は、朝廷との結び付きも深く、少僧都から大僧都に任ぜられ、承和2年(835)金剛峯寺で62才でなくなった。後大僧正弘法大師の称号を贈られた。
生前諸国を巡回して教えを広める傍ら医療、殖産、土木等済世利民のために力を尽した名僧であり、四国八十八ヶ所を造った僧として名高く、千年後の今日まで「お大師さま」と共に歩く遍路姿は、郷土に風物詩を添えている。
空海(弘法大師)が幡多地方に巡錫されたのは平安時代の初め、延暦14年(795)の22才の時であった。この時、行基が開いた寺山延光寺を再興すると共に、この寺に錫を留め、日夜修業したのである。また、各所に寺院を開き、その後弘仁14年(823)嵯峨天皇の勅命を受けて足摺岬に蹉陀山金剛福寺を建てたことが金剛福寺文書にみられる。なお、横瀬村新長楽寺の棟札によって昔、弘法大師がこの寺に3年寓住したことが、『土佐国編年記事略』に記されている。
空海はのち、弘仁14年(823)足摺岬に金剛福寺を造営したとき、足摺山と寺山との往来の足場として塩飛鳥村(坂ノ下)に草庵を結び、自刻の如意輪観音石像を安置したという。今、その石像は宿毛浄土寺の境内に安置してある。

如意輪観音石像(浄土寺) 竹大師(善照寺)
如意輪観音石像(浄土寺) 竹大師(善照寺)
宿毛水田の開発
伝説によれば空海はまた宿毛水田の開発を企て、松田川に堤を築いて水害を防ぎ、中州を開拓して水田を造ったのであるが、その際松田川の岸を守るため竹を植え決壊を防いだ。後代付近の村民は空海の徳をたたえ、寺を建てたというが、その寺の後身が現在の滋竹山大師善照寺であるという。
このほか、山田の医法寺(後、五宝寺)、芳奈の勝福寺なども空海の草創であると伝えられている。中村市内にも、横瀬の高尾寺、坂本の香山寺、安並の石見寺等弘法大師の草創だと伝えられている寺が各所にある。
山田の五宝時
山田の五宝時