宿毛市史【中世編-長宗我部氏と宿毛-】

長宗我部氏の幡多進駐

長宗我部元親は22才で長岡郡岡豊城主となり、永禄7年(1564)には本山城を奪い、同12年には安芸国虎を滅ぽし、宿敵をことごとく倒して土佐6郡を手に入れ、ついに幡多を領有する一条兼定と対立するようになり、天正2年(1574)兼定を豊後に追うて土佐一国を掌中に収めるに至ったのである。
元親は渡川合戦で土佐統一を成し遂げると、幡多の武士団を改変し、論功行賞として、一族や重臣を重要拠点に配し、元親に味方し、降参した幡多武将に本領安堵をさせたのである。
宿毛関係の配置状況をみると、吉奈城に十市備後守を、宿毛城(松田城)に長宗我部右衛門大夫(後野田甚左衛門)を新たに配備し、降参して居城を安堵した者に、伊与野城に依岡右京進(近江)、和田城の和田兵衛、押の川城の押川玄蕃、柏島、沖の島の三浦がある(『土佐物語』による)。中村は一条氏の故地であるため特に重視し、元親の実弟吉良左京進親貞を中村城監として置いた。その後、天正4年に谷忠兵衛忠澄を、更に桑名弥次兵衛一孝とその股肱の重臣を中村城代として置き、幡多一円を支配させたのである。
この時、宿毛松田城主依岡伯耆守は、元親に滅ぼされ、居城を追われたので、その後に長宗我部右衛門大夫(宿毛右衛門大夫ともいう)が入城したのであるが、依岡伯耆守より先の城主であった松田兵庫の一族と思われる松田伝大夫は、天正3年元親に降って戦功があったものか、宿毛延命寺土居(字松田屋敷)に居り、旧領のうち地12町余りを給されている。沖の島弘瀬浦の三浦宗見も、天正3年元親に降り旧領地2町余りを給されている。

  長宗我部氏系図
          (19)
           兼
           序
           |
       −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       |                          |
       |                         (20)
       国                          国
       康                          親
       |                          |
  −−−−−|           −−−−−−−−−−−−−−−|
  |    |           |    |    |    |
  |    |           |    |    |   (21)
  親    親           親    親    親    元
  興    武           益    泰    貞    親
(比江山) (戸波)        (親房)(香宗我部)(吉良)   |
       |         (島弥九郎)            |
       |                          |
       親      −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−|
       清      |      |    |    |  |
   (宿毛右衛門大夫)  |     (22)   |    |  |
              女      盛    親    親  信
          (一条内政に嫁す)  親    忠    和  親
                   (宮内少輔)(津野) (香川)
宿毛村地検帳による松田伝大夫給地の例
宿毛村地検帳による松田伝大夫給地の例