宿毛市史【中世編-社寺領-】

中世頃の社寺

次にあげる社寺は、宿毛地域において中世頃(鎌倉〜室町時代)にあったと思われるもので、『地検帳』および『南路志』等によって出したものである。その後の安土、桃山時代(長宗我部時代)に建てられたものも含まれているかもしれない。
山田郷
八幡宮・天神社・大明神・八龍王・宗我神・山王神・天王社・住吉神社・三島神社・神母神・明見神・観音寺・医法寺(後五宝寺)・極楽寺・天院(後天仁寺)・長福寺・天心寺・真光寺・真蔵寺・世尊寺・東天院・善妙寺・善香寺・ミャウクァン寺
 
吉奈村
八王子社・神母神・山王杜・白王社・勝福寺・妙本寺・ハイタカ神社・仏心寺・東林寺・吉善寺・善入寺・長善寺・法善寺
 
平田村
高持社・宗我神・仁井田神・大船宮・柴織権現・神母神・白王杜・仙神・飛龍権現・山神・権現社・延光寺・藤林寺・宝珠院・天与院・白輪(林)寺・宗福寺・長法寺・妙現寺・冨林寺・寿昌寺・器々寺・森観(恩)堂・薬師御堂・愛(堂)寺・葦源寺・貴蔵寺・金寿寺・溪立院・康楽寺・光林寺・寿仏院・身徳寺・正寿院・善福寺・泉寺・宗巌寺・東明寺・能蔵寺・福寿寺・弁蔵寺・法蔵寺・宝教院・宝源寺・宝持寺・明暗寺・龍泉寺・礼正寺・宮林寺・妙賢寺・妙徳院・宝光寺・雲辺寺・竹林寺・東楽寺・康豊寺
 
押ノ川・和田村
一宮(和田村)・市神(市神村)・宗我神(古市村)・神母神(甫喜村)・八竜王(稗田村)・三島神(添野村)・天神(小森村)・白王神(自井川村)・山王神(押ノ川村)・天住寺(市神村)・嶺寺(市神村)・曽根寺(舟付村)・妙光寺(舟付村)・千福寺(古市村)・長雲寺(古市村)・正蔵寺(稗田村)・香福寺(小森村)・願成寺(添野村)・善応寺(ホイロ村)・清養院(カラカウチ村)・凌閣院(カラカウチ村)・一山寺(一山村)・桂正寺(押ノ川村)・遠道寺(押ノ川村)・源内寺(押ノ川村)・昌源寺・寿福院・正善寺・正蔵寺 (市神村)
 
ニノ宮・中津野村
八幡宮(川原村)・二ノ宮神(ニノ宮村)・天王神(中津野村)・権現(川原村)・宗我神(高田村)・仁井田神(高田村)・天神(丸野村)・法光寺(ニノ宮村)・龍光寺(高田村)・薬師堂(高田村)・寿福寺(川原村)・法林寺(川原村)・龍田寺(川原村)・金寿院(川原村)・金蔵院(川原村)・光明寺(中津野村)・西光寺(中津野・平野村)・東光寺(中津野村)・円福寺(高芦村)・龍昌寺(高田村?)
 
宿毛村
八幡宮(延命寺村)・山王神(宿毛村=仲須賀)・天神(唐人名村)・聖神(与市明村)・正禅寺(平井村)・正源寺(平井村)・センシ寺(平井村)・東福寺(唐人名村)・善正寺(唐人名村)・妙連寺(唐人名村)・新光寺(新光寺村)・妙見堂(萩原村)・西明寺(萩原村)・長住寺(宿毛村=仲須賀)・正明寺(宿毛村)・千光坊(宿毛村)・安法寺(飛鳥村)・延明寺(延明寺村)・新善寺(新善寺村)・願成寺(貝塚村)・如法寺(貝塚村)・正程寺・世明寺・法花寺・西王寺(松原村)
 
橋上・還住藪・山北村
白王神(還住薮村)・天王神(窪川村)・篠山権現(久甫川村)・福蔵院(還住薮村)・龍光寺(野地村)・白王神(野地村)・山王神(亀有村)・九品寺(おきのなろ村)・洞溪院(からすでん村)・地蔵寺(京法村)・正福寺(還住藪村)・観世音寺(楠山村)・善福寺(平野村)・ハイタカ神(おきのなろ村)・ハイタカ神(楠山村)・洞岡庵(出井村)
 
錦・大深浦・小深浦村
地神(錦村)・山神(小深浦村)・仁井田神(大深浦村)・日引神(大深浦村)・照光院 (錦村)・法律寺(錦村)・福蔵寺(小深浦村)・安養寺(大深浦村)・光善寺(大深浦村)・福寿寺(大深浦村)・常喜寺(大深浦村)・正龍寺(大深浦村)
 
宇須々木・藻来津・大島村
隼鷹神(宇須々木村)・三島神(宇須々木村)・八龍王(宇須々木村)・山神(宇須々木村)・大峰神(藻来津村)・山王宮(藻来津村)・福蔵寺(宇須々木村)・長福寺(宇須々木村)・勝仙寺(宇須々木村)・瑞泉寺(宇須々木村)・正善寺(宇須々木村)・海蔵寺(宇須々木村)・潮音寺(藻来津村)・丸田寺(大島村池ノ浦)・円覚寺(宇須々木村)・宝海寺(字須々木村)
 
田ノ浦・伊与野・福良村等
八龍王(伊与野村)・宗我神(伊与野村)・仙神(田ノ浦村)・荒神(津賀ノ川村)・福泉寺(福良村)・龍巌寺(伊与野村)・永楽寺(伊与野村)・宝光院(伊与野村)・妙王源寺(伊与野村)・如意寺(伊与野村)・宝泉寺(湊浦)・福永寺(福良村)・養福寺(田ノ浦村)・薬師堂(呼崎村)・宗楽寺(内ノ浦)・地蔵寺(石原村)・海門寺(外ノ浦)・瑞正寺(小浦)・地蔵堂(小浦)・観音堂(津賀ノ川村)・天神(伊与野村小尽)・自王(榊浦)・大明神(榊浦)・龍生院(榊浦)
宿毛市関係の地検帳などによると、一条氏時代には宿毛市においても各村々に、このように数多くの社寺があったことがわかる。昔から宗教が庶民の生活と深いつながりがあったことを物語るものであろう。しかし一条氏自らも社寺を深く尊崇されたことが、史料によってわかるのである。
初代一条房家は平田村に藤林寺を建てて菩提寺としている。2代房冬、3代房基もそれぞれ円明院、光寿寺を苦提寺としている。また房家は、幡多郡の総鎮守として山田に八幡宮を造営し(一説には父教房ともいう)代々、これを尊崇されていることが山田八幡宮の社伝によってうかがうことができるのである。
平田村寺山延光寺の寺領をみると、当時いかに寺院に特権があったにしても、20町歩にものぼる膨大な所領を許していることは、一条氏が社寺に対していかに関心が強かったかわかるのではなかろうか。このように、郡下の各村々に散在する多数の社寺も、それぞれ保護してきたのではなかろうか。
社寺の分布状況をみると、平田村に最も多く集中しているのが特色といえよう。また、比較的狭い地域である押ノ川、和田地域が、これに次いで多いのも目立つ。
寺山円光寺領(宿毛村地検帳)
寺山円光寺領(宿毛村地検帳)