宿毛市史【近世編-幕末と宿毛-幕末の宿毛の動向】

土佐勤王党と宿毛の侍

武市瑞山は文久元年(1861)には再度江戸に出て、長州の久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎たちと交わりますます勤王の志を固め、ついにその年9月には高知に帰り、土佐勤王党を組織し、彼はその盟主となったのである。
この土佐勤王党に加盟した者は、坂本龍馬、中岡慎太郎、間崎滄浪など192名であるが、幡多では、佐井松次郎(中村)、矢野川龍右衛門(三崎)、田辺豪次郎(十川)、佐井寅次郎(中村)の4名だけである。瑞山と交りのあった岩村通俊なども、これに加盟していないが、それらについて『維新土佐勤王史』には「血盟簿以外の勤王党同志人名録」と題して次の記事と幡多人士があげられている。
「血盟者の名簿に列せざる勤王党同志は、或は遠隔の地に住し、或は其の地位の利害より、或は血盟をなす暇なく、或はその血盟中止後に蹶起せる人々にして、要するに、其の精神の血盟者と異なる所なきは、現に左に列記する人の中にて数十名の殉職者を出したる事実、之を証し得て余りありといふべし、故にその血盟書の名簿に列すると否とは、もとより敢てその間に軽重する所なきなり。」と非加盟者の立場を説明して、血盟外の同志として人名をあげているが、その中で、幡多の人は次のとおりである。
安岡亮太郎
岩村有助(礫水)−宿毛
岩村精一郎(高俊)−宿毛
小松勇道
桑原助馬
桑原戒平
樋口真吉
岩村左内(通俊)−宿毛
樋口甚内
桑原平八
斎原治一郎(大江卓)−宿毛
このように宿毛の人物が4人も記されている。

岩村礫水画
岩村礫水画