宿毛市史【近世編‐教育‐藩政時代の教育】

宿毛における郷学校

宿毛における郷学校の創立は、10代氏固時代となっているが、それ以前にも学問所はあったようであるが、その文献がないので明らかにすることができない。
また、氏固が創立した講授館にしても、その年月日は明らかでない。『高知藩教育沿革取調』によると「天保2年(1831)三宅大蔵(もと平民後挙げられて士となる)なる者、博学多識にして殊に文書に富めり、旧領主伊賀氏固抜擢して講授役として会所(今の簡易裁判所の所にあった役所)において別に教授席を区別し、講授館と名称し、家士以下卒に至る迄、老幼の別無く出席せしめ、経書及歴史等を講授し且、幼年輩の為に毎朝或は隔日に句読又は輪講及習字等の課程を設く。而して、毎月両三の会日を立て、領主の邸内へ講授役を出席せしめ、経書等を講ぜしむるの制を定めたり」とある。三宅大蔵は文政年間九州に遊ぴ豊後国日田の広瀬淡窓の咸宜園に学んだ。『懐旧楼筆記』(巻32)の天保4年の入門者の中に「土佐人三宅大蔵」の名が記されている。天保5年宿毛に帰り安東氏に講授館設立を勧め、講授館が設立されると抜擢されて講授役となり、士格に列せれたのであるという。
これらの諸文献から考えあわせると講授館は天保2年(1831)から天保5年(1834)までに設立されたものと思われるが、何年であるかはさだかでない。

講授館

講授館跡
講授館跡

前に述べたように、郷学校講授館は、天保2年(1831)より天保5年(1834)の間に創立され、講授役には、三宅大蔵が平民より登用され、以来嘉永2年(1849)まで、講授役として十数年勤務したのであった。
その後、家士上村勝之丞の3男上村修蔵が教授役となった。修蔵は少年の頃三宅大蔵の門に入り、後塾長となった。更に安政元年広島の坂井虎山の門に入り3年、帰路福山の江木鰐水の門に入り経史に精通、帰国後間もなく、伊勢の斎藤拙堂の門に入り万延元年帰国(鷲州遺稿)して教授役となったのである。(高知藩教育沿革取調、南学史、幡多郡誌、人名辞典等にはすべて嘉永2年大蔵の死亡年と同年で講授役とあるが鷺州遺稿の小伝およぴ同書森脇方成の送文等により広島等への遊学は安政元年〜万延元年であることが確実であるので鷺州遺稿によった。)

文 館 跡
文 館 跡
文館
文久3年(1863)1月に至り、宿毛字本町(現旅館昭和館のあるところ)にあった物産方役所内に講授館を移し、文館と改め、教師につぎの人々を任命、読書、習字、算術、作文の4課を設けた。
講授役(役料二石)上村修蔵
助教役( 〃 一石五斗)酒井三治
句読役( 〃 八斗)立田春江(小野義真)、中村進一郎。その後、文久3年6月に倉田五十馬を句読役(凸斎遺稿)に、慶応元年には岩村通俊(役料五石)を文武頭取に任命している(『宿毛人物史』)。
日新館
慶応3年(1867)2月文館を廃し、宿毛安ヶ市(現宿毛小学校敷地)に日新館を新設、敷地六九二坪(内建坪六〇坪、平屋建3棟、内1棟は武館)従来の教師に算術導役宗武延年を加えた。
藩立日新館
その後、明治2年の藩政改革により日新館のすべてを藩へ寄附した。藩は翌3年2月藩立日新館として再開し教師を次のとおり任命している。
 準大得業生(俸給十五石)酒井三治
 中得業生(同十二石)山本元治、小野潜蔵
 小得業生(同九石)近藤範斎
明治5年(1872)5月従前の得業生を解任、新に準大得業生 宗武延年
 中得業生 山本元治、倉田五十馬の3名をおいたが、10月に至り教員解任の上閉校となった。
日新学舎
明治6年(1873)7月、宿毛組合立日新学舎として再発足したが翌7年2月には宿毛小学校と改称し現在に至っている。(『高知藩数育沿革取調』)
なお、日新館という名称は、明治30年頃まで存続したがそれについては後でのべる。

郷学校の教則、学科試験、その他
 一、教則  創立より明治7年に至る約40年間初学の者は、四書五経に限り句読及講義を授け其の他は生徒の学力に応じ授業を許す制度であった。上級の教科書と言えば、古文、靖献遺言、国史略、史記、左伝、日本外史、十八史略、文章軌範、八大家文、通鑑等であった。生徒は右の書物を推読し、わからない箇所を其時毎に質問をした。そして経書史書は毎月5、6回、別に日を定め生徒に輪読、輸講及討論をさせたのであった。
  授業時間は天保年間は制限なく、後、時代の変遷に随い、文久3年以後はおおむね奇偶等の日を定め、朝五ッ時(午前7時)より八ッ時(午后2時〉迄とした。(『高知藩教育沿革取調』)
 二、学科、学期試験
  本校では和学洋学医学は教えず、昔から漢学だけを指導した。武技は兵学、弓術、槍剣、砲術、游泳、柔術などで、特に等級はなく、生徒の学力に応じ教えた。
  たとえぱ、四書のうち大学より中庸におよび更に論語にすすんだ。算術は八算(和算で1桁の2から9までの基数の乗除)から見一(珠算で2桁以上の数での除法)に進み、さらに諸比例、平立法、籌子術、點竄(代数)及地理測量、暦等の順序で生徒の進度に応じて指導した。
  以上の文武両道は家士以下卒に至るまで兼修させ、各自の階級に応じ相当の課程を設けた。しかし、2男以下の者については長ずるところの芸により特に1科のみを専修することができた。
  文武の比較は、四書の大意を得る者を武技の一伝書を得た者に当るとした。
  学習期限は、天保〜文久3年2月迄は7、8才で家塾、寺小屋へ入学し、14、5才で退学、15才より文武両道を学んでいたが、同年3月より10才で入校、15才で退校、16才から49才迄文武両道を学ばせた。但し、資質、格式、階級により課程の緩急や責任は異なっていた。
  試験は毎年春秋両期に分け、兵学、弓槍剣、柔術等は領主の館内で領主臨席し、諸役員、文武頭取、各導役が監督した。馬、砲、游泳などは各の練習場で、また文学等は領主が文館に臨み、教師が試験した。その結果優秀な者に対しては、物品又は金子を与え之を賞した。(『高知藩教育治革取調』)
 三、日新館の構造及建物図面
  学校所在の坪数六百九十三坪、学校建物は甲、乙、丙に分れ、甲は二十四坪七合五勺、乙は十八坪七合五勺、丙は十六坪弐合五勺。丙の建物は、維新以前は武館であったが維新後は学校として使用した。
日新館平面図
日新館平面図

 四、蔵書
「本校に於て出版翻刻せし書類これ無く、而して蔵書の如き、舊来取扱の混雑により、漸々散失のもの不少、依て今根居簿の中より現在書目を左に記載す。」として左記があげられている。
書目部数(○印は現存するもの、△印は目録にはないが現存するもの)

  唐宋八大家読本 二  部 日  本  外  史 三  部
国  語  定  本 一  部   通  鑑   要 一  部
漢  書  評  林 一  部   唐        鑑 一  部
  明  易  知  録 一  部 左 氏 伝 校 本 一  部
大  日  本  史 一  部 四  書  正  解 一  部
  七 経 雕 題 略 一  部   陸 宣 公 奏 議 一  部
左      一  部 貞  観  政  要 一  部
綱 鑑 易 知 録 一  部   四  書  輯  疏 一  部
資  治  通  鑑 一  部 呂  氏  春  秋 一  部
日  本  政  記 二  部 詩  経  集  註 一  部
  書  経  集  註 一  部   聖   武   記 一  部
  先  哲  叢  談 一  部 史  記  評  林 一  部
  通        語 一  部   仏  国  憲  法 一  部
  正 文 章 軌 範 二  部 仏  国  商  法 一  部
  続 文 章 軌 範 一  部 仏  国  民  法 一  部
  十  八  史  略 二  部   気  海  観  瀾 一  部
  正 皇 朝 史 略 一  部   瀛  環  志  略 一  部
  続 皇 朝 史 略 一  部   博  物  新  編 一  部
  元  明  史  略 一  部   格  物  入  門 一  部
  国   史   略      地  球  説  略 一  部
  地 方 凡 例 録 一  部   中  興  鑑  言 二  部
萬  国  公  法 一  部   易  学  啓  蒙 一  部
  諺        草 一  部   詩  韻  含  英 一  部
  漢   事   始 一  部 世 説 故 事 苑 一  部
  和   事   始 一  部 日 本 外 史 補 一  部
輿  地  誌  略 一  部   英   国   史 一  部
  孔  子  家  語 一  部 英  国  史  略 一  部
楚        辞 一  部   元  寇  記  略 一  部
  宋  名  臣  録 一  部   通        議 一  部
  伊洛 淵源 続録 一  部   箋  註  蒙  求 三  部
泰  西  史  鑑 一  部   小 学 化 学 書 一  部
  近  世  史  略 一  部   地   文   学 一  部
  開  知  新  篇 一  部   植  物  浅  解 一  部
  西  算  新  書 一  部   地  学  事  始 一  部
  洋  算  例  題 二  部 通        鑑 三  冊
  物  理  階  梯 三  部 校刻 日本 外史 五  冊
  小 学 道 徳 論 一  部 聖徳太子十七条憲法 一  冊
  小 学 修 身 訓 一  部 椿 説 弓 張 月 三  冊
  勧  善  訓  蒙 一  部 南総里見八犬伝 六  冊
  小  学  読  本 十五部 萬  国  新  史 二  冊
  幾  何  初  歩 二  部 自  由  の  理 一  冊
  土佐 国地 誌略 二  部 偉  績  叢  伝 一  冊
  地  理  初  歩 十  部 訓 蒙 修 身 学 一  冊
  発  明  記  事 一  部 西  洋  事  情 一  冊
  理  学  問  答 一  部 世  界  国  盡 二  冊
  究  理  図  解 一  部 西 洋 立 志 編 一  冊
  訓 蒙 動 物 学 一  部 小学 日本 文典 一  冊
  玉        篇 二  部 西洋 学校 軌範 一  冊
  史        略 二十部 理  化  日  誌 一  冊
  日 本 地 史 略 五  部      
  萬 国 地 史 略 二  部      
  畫   学   書 四  部      

これらの中には蔵書印のあるものもあるが、その蔵書印は、日新館、致水館、積善館、日新学舎、藩学蔵書、致道館、土州学館、建依別文庫、高知県学校、小野義節、竹葉水哉蔵などである。現存するものは市立坂本図書館に所蔵されているが、前文にもあるとおり散佚したものもあって在庫のものも完本は少ない。なお蔵書印についても説明は困難であるが、積善館は伊賀邸内に天保14年に宿毛旧館を再建して命名したものであるが、学校としたかどうかは明白でない。小野義節、竹葉水哉についても知ることができなかった。