宿毛市史【近世編‐宗教-神社】

神 社

「やしろ」というのは「屋代」のことで神籬(ひもろぎ)を神霊の屋の代りにすることで、神をまつる場所のことである。神社は大国主命から初まるとも云われているが、それを明らかにする方法はない。神社のことが記されているものとしては『延喜式』をはじめとする。延喜元年(901)に編集された延喜式の中の「神名帳」に記されている全国の神社の数は3,132である。土佐は21社、そのうち幡多郡にあるのは3社である。
  伊豆田神社(土佐清水市下の加江)
  高知坐神社(宿毛市平田町)
  加茂神社(大方町)
延喜式の神名帳にあるものは「式内社」とよぱれて古来から尊崇されてきたのである。

神社改
キリスト教に対しては宗門改を行なって取しまりが厳重であったことは知られているが、神社に対してはどのような処置がとられていたのかは不明であったが『就神社御改差出帳』があり、これは神社に対する調査書である。
延享4年(1747)7月5日、差出人は幡多郡社家頭、山田村八幡宮神主、風折烏帽子紋紗狩衣御免、宮部大和守で、「御集録方御役人所」となっており「山田村宮数27社、私代々相勤め申候、右宮のうち別当ならぴに修験持など御座なく候、尤諸社の中に仏閣などは御座なく候。」とあるもので宮部が直接差出したものであるが、「右はこの度神社御改仰せつけられ候につき私ども支配の村所々手引いたし御改をうけ申候、右の通り相違御座なく候、右のほか御たづねのケ条御座なく候、もし不実を申上おき重ねて相あらわれ候はばいか様とも仰せつけらるべく候、山田村大庄屋徳左衛門、同村年老善右衛門、同清右衛門」となっている。
神社で修験者や別当がおり、または神社の中に寺がありはしないかを調査したものである。このような調査が実施されていたことが明らかであり、神社の宗門改めとでも云うことになろう。

神社数
幡多郡の神社数は明治10年頃には2000余社であったが、その後荒廃したものもあって、大正9年には県社2、郷社34、村社339、無格社597総計972社であった。現在は社格が廃止されているのであるが、明治初年に各地から報告された『神社明細帳』によると、宿毛市内では300社以上であると思われるが、ここでは郷社と村社をかかげる。その中で平田の「高知坐神社」と山田の「八幡宮」は歴史的にも重要であるのでやや解説を加えることにした。なお現在の神社数の正確な調査はできていない。

神   社 所  在  地 祭  神 由           緒
日吉神社 宿毛山王田 大山咋命 不詳
八幡宮 宿毛木戸屋敷 応神天皇 延宝3年8月勧請すと云う
聖神社 宿毛アケ川原 保食神 宝暦13年11月5日勧請すと云う
天満宮 宿毛ムエンドウ 菅原道真 不詳
厳島神社 宿毛貝塚 市杵島姫神 慶長年中勧請、もと弁財天と云う
天満宮 宿毛天神ノ本 菅原道真 不詳
白皇神社 錦白皇山 大物主命 不詳
星神社 小深浦奥山西下 天御中主尊 不詳
仁井田神社 大深浦象頭山 大己貴命 不詳
日引神社 大深浦日引谷 猿田彦神 不詳
聖神社 樺地蔵ノ尾 聖神 不詳
神社 宇須々木阿瀬知山  未詳 不詳
神社 大島洞山 未詳 寛永年間浜田某宇須々木村より勧請すと云う。
一宮神社 大島片島 味耜高彦根命 勧請年月未詳、もと郷社、和田より宿毛城跡に 遷し、更に片島に遷した。
大峰神社 藻津宮ノ本 安閑天皇 不詳
天満宮 坂下天神平 菅原道真 不詳
稗田神社 和田比古庵 未詳 不詳
八坂神社 和田神内 素盞鳴命 不詳  もと郷社、峰ノ山にあり牛頭天王と称したが 明治になり改称
押川神社 押ノ川大道山 未詳 不詳
白皇神社 押ノ川東白皇 大物主命 不詳
天満宮 ニノ宮天神分 菅原道真 文保3年筑紫太宰府より勧請せしと云う
正八幡宮 ニノ宮川原山 応神天皇
神功皇后、玉依姫、
不詳  二宮惟宗本井右兵衛尉天文15年の棟札が あったが紛失、また「長曾我部元親武運長久のため 再建の棟札があるが、年月は判然としないと云う、もと郷社
金峰神社 ニノ宮萩子山 安閑天皇 不詳
八坂神社 中角新道 素盞鳴命 村上天皇御宇天徳3己未年6月15日山城国 愛宕郡祗園牛頭天皇を勧請し祀斎すと云う
野地神社 野地、野地山 大山積命 不詳
白皇神社 野地サイネ山 大己貴命 不詳
白皇神社 草木藪ヤシロ谷 大己貴命 不詳
八坂神社 山北西千貫山 素盞鳴命 不詳
白皇神社 山北上駄場山 大己貴命 不詳
八坂神社 橋上村神有流川東平  素盞鳴命 不詳
神社 野地上岡崎 未詳一に倭建命 不詳、棟札に正徳2辰年9月吉日建之とあると云う。 もと郷社
平野神社 平野津々良谷 大己貴命 不詳
坂本神社 坂本八ケ森 七座  阿遅須伎高彦根命  大己貴神、聖神、豊玉毘古命、 大山津見神、須佐之男命  不詳
島宮神社 奥奈路宮ノ山 一日、大山祗神 不詳
仁井田神社 還住藪横平山 未詳 不詳
白皇神社 京法夏ヤケ谷 大己貴命 不詳
神社 出井大駄場山 未詳 不詳
黄幡神社 楠山ハマイワ山 広峰神 不詳
八幡宮 山田村山田 応神天皇仲哀天皇玉依姫、不詳、もと郷社
手代岡神社 山田手代岡 素盞鳴命 不詳
鷂神社八王子神社  芳奈笹原山 天御中主神外二十数神  不詳
高知坐神社 平田村戸内 都味歯八重事代主命 式内社
添森神社 平田村黒川カイソウノハナ  素盞鳴命 不詳
海津見神社 伊与野海積森山 大海津見命 不詳  もと郷社
仁井田神社 石原マツバ 大山祗命 不詳
天満宮 石原坂本 菅原道真 不詳
八面神社 石原船ノ川 八柱山祗命 不詳
天満宮 小筑紫後山 菅原道真 不詳
福良神社 福良大井デ 菅原道真、須佐之男命、大山津見命、聖神社、神社、不詳
八坂神社 栄喜大谷口 須佐之男命 不詳
天満宮 湊浦馬越 菅原道真 不詳
八坂神社 内外村井ノ脇 須佐之男命 不詳
八幡宮 内外村外浜上 応神天皇 不詳
住吉神社 小浦ハナノヤマ 底筒男命、中筒男命、表筒男命、不詳
愛宕神社 田浦中尾山 火結命 不詳
八坂神社 津賀川塩ノ谷山 須佐之男命 不詳
天満宮 津賀川石木香山 菅原道真 不詳
仁井田神社 呼崎六郎田 大山祗命 不詳
日吉神社 沖島母島 大山咋神 不詳
荒倉神社 弘瀬宮道 神闇 不詳
春日神社 鵜来島宮山 未詳 不詳

 高知坐神社   平田町戸内
   祭神  都味歯八重事代主命
   由緒  『土佐国式社考』によると御神体は青黒の玉石でまるい筥に入れ重ねて蔵するに箱を使っている。摂社の御神体は青石で杉箱に蔵ってある。この2坐の近くに多くの摂社がある。「大己貴神辺津宮に坐まして高降姫神を娶り、一男都味歯八重事代主神を生む。倭国高市郡高市社に坐す」(旧事本紀)とあり、高市と高知とは音が通じるので「たかち」となったものであろう。正しくは「たかちにます神社」と読む。どうして幡多郡へ祀ることになったかについて詳しいことはわからないが、『国造本紀』に「土佐の国造を成務天皇(121〜190)の御時に長の阿比古と同祖である三島溝杭ノ命の9世の孫小立の足尼を国造に定め給ふ」とあり「摂津国の人長の我孫あびこ葛城の事代主の命の8世の孫忌寸ノ宿禰の子孫である」(続日本後紀)ので、神名帳に云う、大和国高市郡波多神社もこれと同じであろうか。国造と関係があるかどうかは不明である。
棟札に、高持者大明神、大檀郡房基、御武運長久、御万千代丸御寿命長遠、天文13年甲辰卯月12日、福井右京亮惟宗忠能、外10名とあると云う。
 八幡宮   山奈町山田
   祭神  応神天皇、仲哀天皇、玉依姫、(幡多郡誌では応神天皇、神后皇后、姫大神)
   由緒  一条房家の創建なりというが、年月は確定しがたい。「社記によると享禄元年(1528)中御門松寿丸御再興、同年12月18日遷宮して今に至るまで造替なし、宮地は13代で地検帳の計算に入れず、元親公の代には社領八町六反」と云伝う。
祭日には役者二夜三日の行事がある。古来より神輿は天堂屋敷の旅屋に移る。祭の日には村中の神々を一緒に旅屋へ勧請し踊神相撲を興行する。走馬1疋、土器色の装束、騎体2疋は赤色装束。籠物唐金御太刀形一腰、面5、獅子頭1、大口1、両龍配2、金鳩玉石以上は一条房家公の寄進。神主は吉田殿直支配宮部左近」とある。
  (南路志)。