宿毛市史【近代、現代編-中央で活躍した人々-林 有造】

林  有 造(1842〜1921)

政治家。幼名助次、包直ともいう。号は梅溪。天保13年8月17日岩村英俊の2男として宿毛に生まれ、林茂次平の養子となる。27才のとき、戊辰の役に加わり越後口に従軍戦功をたてる。戦後高知藩庁に勤めて権少参事となり、明治3年欧州に出張普仏戦争を視察、翌年帰国、廃藩置県の際、高知県参事となり藩債の処理や農民騒動(膏取り一揆)に手腕を発揮、5年11月外務省出仕、翌年10月征韓論起り、西郷・板垣と同調して辞職、帰国して片岡健吉らと立志社を創立する。同10年政府転覆を企てて発覚し、禁獄10年の刑を受け岩手監獄に服役、獄中で衰微した宿毛の振興策をねる。同17年保釈され再び板垣らと共に愛国公党をおこし自由党の基礎をつくった。23年第1回総選挙に当選その後7回当選、31年逓信大臣、33年農商務大臣に就任した。その後政友会を脱退、自由党を再建したが、うまくいかず、41年政界を去って郷里宿毛で郷土発展に尽くす。岩手監獄で考えた林新田の開拓は明治20年に完成、片島港を開港した。特に大正3年には予土水産株式会社々長となり世界で最初の真円真珠養殖に成功するなど郷土産業復興に貢献した。大正10年12月29日病没、80才、従3位。

林 有造邸
林 有造邸