宿毛市史【近代、現代編-中央で活躍した人々-浜口勇吉】

浜 口 勇 吉(1870〜1932)

建設業。明治3年1月4日宿毛村坂ノ下浜口儀之助の長男として出生。宿毛小学校高等科を卒業後郷里で代用教員を勤める。その後上京し、まもなく大連に渡り、佐藤組に就職して建設業の修業をする。大連から台湾に行き監獄の営繕課に勤めたが、建設業の自営を思いたち浜口商行の名で実蹟をあげ、台湾全島に支店・出張所を置いた。明治43年日英博覧会がロンドンで開催されたとき、総督府より台湾館の建設を依頼されて渡英し、工事完成のときエドワード七世に拝謁した。帰国途中欧米を視察し見聞を広めた。台北市の都市計画に参画、総督府新築工事、台中州庁舎新築工事等多くの実蹟を残した。内地にも進出、神戸製鋼、播磨造船所、帝国人絹工場、神戸屠牛場建設等の大工事を引き受け、大正11年東京に進出、日活映画館、築地本願寺和田堀墓所、銀座資生堂等の工事を完成したが大正年間のパニックに会い、業蹟の進展を見ることなく、昭和7年10月19日東京牛込で病没、63才。作曲家として現在中央で活躍している浜口庫之助はその子である。