宿毛市史【近代、現代編-中央で活躍した人々-北見志保子】

北 見 志保子(1885〜1955)

歌人。川島朝野といい、明治18年1月9日宿毛村土居下川島享一郎の長女として生まれる。宿毛小学校から中村町実科女学校へ進み、宿毛小学校教員となる。
17才のとき東京にでて教師をするかたわら文学の道へ入る。在郷中より恋仲だった橋田東声と大正2年結婚、橋田あさ子またはゆみゑの名で東声の主宰する『珊瑚礁』や『覇王樹』に歌作を発表、その他山川朱美の筆名で小説を書き『朱実作品集』を出版したが作家としては成功しなかった。大正11年浜忠次郎(のちの千代田生命社長)との恋愛問題がおこり東声と離婚、大正14年浜と結婚する。その後は短歌に専念、大正14年短歌誌『草の実』を同志と共に創刊、この頃より北見志保子の筆名を用いる。『月光』『花のかげ』等の歌集を出版、昭和24年著名女流歌人を網羅した「女人短歌会」を結成し、女流歌人育成にもつとめ歌誌『花宴』を主宰した。昭和28年歌碑「山河よ野よあたたかき故郷ふるさとよ声あげて泣かむ長かりしかな」が母校宿毛小学校校庭に建てられ、その除幕式には歌友を多く連れて帰郷した。最後の歌集『珊瑚』を昭和30年出版し、その年5月4日慶応病院で病没、70才。

北見志保子歌碑
北見志保子歌碑