宿毛市史【近代、現代編-交通土木-陸上交通発達の経過】

陸上交通発達の経過

明治以後わが国は急激に産業をおこし、資本経済が発達浸透するにつれて、物資の交流や、人、車馬の往来が多くなり、道路の整備や海上交通の開発が急激になされていった。
しかし宿毛市は他県に比較して、最近まで道路事情は悪く、文化、産業の発展を阻害してきた。その原因としては山や川が多く、また海岸まで山地が迫っているので、容易に道路の開発を許さなかったことである。
ことに西には愛媛県境沿いに山脈がびょうぷのように立ちならび、東や北は松田川が障害となっていた。又南は松田川に隔てられると共に、荒瀬山系が立ちふさがり、三倉坂の難所を通らなくてはならなかった。
東に向っては、松田川の次に障害となったのが市山峠で、徒歩や駄馬の交通から、車馬、自動車の交通となるにつれて、これらの障害を取り除かなければならなくなった。
明治以後宿毛付近の道路の開発は、障害が多く産業が未発達のため、のろのろと進められてきたのであるが、昭和25年、国土総合開発法の制定により、四国西南地域が特定地域に指定され、宿毛市がその適用を受けた。そこで昭和25年11月より、中村、宿毛間を中心にして道路改修工事が始められた。
自動車の利用も昭和30年頃より経済成長と相まって上向き傾向が著しくなり、40年代になると自動車産業の発達によって安価で高性能の大衆乗用車が販売されて、自動車が急増し、それに伴って道路の改良も急ピッチで行われた。
自動車の激増につれて、道路周辺の人は騒音と砂ち゛ん公害に悩まされるようになった。
昭和39年には平田町の師高瀬、小筑紫町の伊与野付近などの舗装工事を始め、だんだん市道にも延長して、最近では農道に至るまで舗装された。最近の道路は道路拡張、直線化などと相まって面目を一新し、昔のおもかげをとどめないまでになった。
これらが原因となって、高知や松山へも、3〜4時間で行くことができるようになり、弘見、宿毛間も何分の一にも時間が短縮された。
しかしよくなった反面弊害も多くでているが、その最大のものとして交通事故がある。宿毛付近は最近特に多いので、交通非常事態宣言を出して、交通事故をなくしようとしているが、今のところ大した成果をあげていない。
宿毛市を中心とする主要な道路の発達の過程はつぎのようである。