宿毛市史【近代、現代編-水産業-宿毛湾入漁協定】

宿毛湾入漁協定

宿毛湾入漁協定が結ぱれるようになった原因及び経過はつぎのようなものである。
宿毛湾は明治の初めまでは、大藤島、沖の島を結ぶ線より以西の海は伊予領に属し、東外海村西外海村(現在は共に城辺町)の人たちは沖の島鵜来島周辺にまで出かけ、漁業を営んでいたのであるが、明治7年7月7日、伊予領の沖の島、姫島、鵜来島が高知県のものとなった。
愛媛県に対する管轄替えの通達はつぎの通りである。
   愛媛県
 其県管轄伊予国沖之島鵜来島姫島自今高知県管轄被仰付候条同県へ引キ渡スベク此旨相達候事
   明治7年7月7日
          太政大臣  三 条 実 実
明治10年には西南戦争が起り、インフレの世の中となったので、漁師の生活が大変苦しくなり、それに伴って魚類の乱獲が目立った。その頃の宿毛湾は、沖の島鵜来島の高知県管轄替えにかかわらず、愛媛の入漁を認める慣行があった。そこで愛媛漁船の高知県への進出が目立ち、明治10年には、鵜来島と久良浦との間にムロ網網代あじろの騒動が起っており、その後愛媛のいわし網等の進歩が著しかったので、漁獲がますます多くなり、その頃盛んであった高知県の定置網等に大変な影響を与え、高知県から愛媛県船に対する排斥運動が起り紛争が起きた。そこで明治33年3月高知、愛媛両県漁業者代表が東京に集まり、農商務省の裁定により正式に入漁契約が締結された。この契約の主たるものは、愛媛県東外海村、西外海村漁業者は、慣行を主張せざることを条件として、宿毛より足摺岬に至る漁場では、高知県漁業者と同様に漁業に従事出来ること、(但し各町村部落専用漁場は除く)東、西外海両村漁民で高知県へ出漁する時は入漁料を支払うこと、高知県は入漁料と引換えに証票を渡し、愛媛漁民は出漁の際は証票を持参すること。この契約の条項は、両県同意の上でなければ変更又は廃止出来ないこととなっている。
次に大正5年8月高知県は、他県漁船の本県沿岸海域での操業を排除するため、本県沿岸海域一円を範囲とする大専用漁業権を設定した。この際条件制限の中で、本県は明治33年の入漁契約を尊重して、愛媛漁民の入漁を一定の条件で認めることとした。
大正初期以降火光利用のまき網漁業が発達すると共にいわしまき網船等も次つぎと造られ、愛媛漁民は入漁契約によって大挙して宿毛湾に入漁し、本県沿岸漁業者に大きな打撃を与えた。そして大正10年以降は高知県でも有力漁業者がまき網漁業を行うようになり、沿岸零細漁業はますます困っていった。そこで高知県は大正13年6月14日漁業取締規則の改正を行ない、火光利用の網漁業を知事許可漁業とし、制限することとなった。
許可を受けなければならない漁業は、
  1、珊瑚採取業
  2、手繰網漁業
  3、打瀬網漁業
  4、流網漁業
  5、鰤、鰭、コノシロ、はらかた各刺網漁業
  6、鰭漬漁業
  7、揚繰網漁業
  8、巾着網漁業
  9、縛網漁業(大網漁業を含む)
 10、磯魚狩込漁業(方言、しろ網又は磯網漁業)
 11、特別漁業に該当する船曳網漁業(瓢曳網漁業を含む)
 12、特別漁業に該当せざる地曳網漁業(地漕網漁業を含む)
 13、定置網漁業に該当せざる鮎瀬張網漁業
 14、火光を利用する網漁業(河川の漁業を除く)
この結果38統の火光利用イワシまき網漁業を県内漁業者に許可したが、高知県漁民は名儀のみを有し、愛媛県の漁業者と共同経営の形式で、実質は愛媛漁民が就漁する状態となった。その後この事実が判明し、大正15年3月県は当該許可を全面的に取リ消した。
これに対し愛媛側は、死活問題だと言って侵漁を始めた。昭和2年から4年頃までが最も激しく、高知県は警羅船小鷹丸及び小型発動機船を使って侵漁船をだ捕したが、その都度愛媛の方は大型発動機船で大挙して取り返しに来た。そのため流血の惨事がたびたびおきた。昭和3年6月には本県巡査ら致事件等も起ったのである。
愛媛が強引に侵漁を行なったのは漁業許可取消しは死活問題だと考えた外に、いわし揚繰網、巾着網はいわし漁網の発達したものであると言う見解に立って水産局長に問い合わせ、愛媛の主張の妥当なことを認める回答を得たこと等もあって、知事の許可を必要としない専用権内の漁業であり、火光利用網も昔から着業していたと言うものであった。その事から高知県は、昭和4年4月試験船こうほう丸が侵漁船をだ捕し、使用していた網を須崎の高知県水産試験場倉庫に入れ、農林省係官を呼び、この網の調査を依頼しようとしたこともあった。その頃はわが国にも世界経済大恐慌の波が押し寄せて来た時期であり、不景気な社会状勢が両県の対立をいよいよ深刻化して、不穏な空気がみなぎり放置することができない状態となった。
昭和4年9月25日宇和島市で幡多郡と南宇和郡下漁業者代表が漁業懇談会を開いて話し合った際、愛媛県が高知県漁業取締規則に照した場合違反することを認め、今後円満な入漁を容認されんことを願い出たので、同年11月30日に宿毛町で火光利用いわし揚繰網、いわしきんちゃく網並びに打瀬網の第1回入漁契約を行なった。
契約当事者は宿毛町、小筑紫村、沖の島村と東外海村、西外海村の各漁業者であり、高知県より愛媛県へはいわしきんちゃく網、いわし揚繰網は11統、1統につき100円の入漁料を払い東外海村の海面で捕魚を認める。高知県の打瀬は40隻に限り1隻1年5円で、東、西外海村の海面で捕魚を認める。ただし愛媛県漁民は宿毛町大藤島頂上より沖の島村え帽子崎見通し線以北の海面但し沖の島村え帽子崎より同村水島頂上と同村鵜来島西端との中央点の見通し線の南の海面を除き捕魚料は1統につき330円とし、11統とする。制限条項には火光は1そう当分2000燭光以内、火船は1統につき当分4隻以内とする。この契約有効期間は昭和7年12月末日までである。
第2回契約は昭和7年12月30日に行われ、愛媛県は高知県側の16統を1統につき1か年100円で入漁を認め、高知県は愛媛県側の16統を1統につき1か年330円で入漁を認めること。網船には推進器を据えつけないこと等の契約がなされ有効期間は昭和9年12月31日である。(昭和9年3月16日破棄)
第3回契約は昭和9年3月16日に行われ、愛媛県は高知県側の20統を1統につき1か年100円で入漁を認め、高知県は愛媛県側の33統を1統につき1か年360円で入漁を認める。但し既に高知県の許可を得て操業している16統については昭和9年に限り従前の契約によるが、新たに操業する17統については昭和9年に限り網1統につき400円とし月割計算で支払う。なお契約当日契約事項履行上に関し覚書を交換違反操業に対する罰則等を決めている。第4回は昭和12年11月16日に契約し、操業区域、入漁統数、入漁料、罰則等を決め、集魚燈の火力、火舟の隻数等に制限を加えられた。又この時より内海村との入漁契約を開始する。
第5回は昭和16年2月17日に昭和12年に契約したものを18年12月31日まで効力を有することを合意の上で承認した。内海村との2回目の契約をする。
第6回は昭和19年2月16日。
第7回は昭和22年2月20日に行われ愛媛県は高知県側の20統を1統につき1か年2100円で入漁を認め、高知県は愛媛県側の44統を1統につき1か年8000円で入漁を認める。
その他網船は螺旋推進器を据えつけないこと。愛媛県船は船首両舷に許可番号、船尾に船名を明記する。火船1隻につき2000燭光以内、網1統につき火船4隻以内、契約違反の際の処置等について契約する。
昭和23年3月16日には、入漁契約改正について覚書を交し、24年6月10日には入漁契約の変更が行なわれ、集魚燈の火力及び発動機の数が制限された。
昭和25年漁業制度の改革に伴って入漁契約等は漁業調整委員会が担当して行なうこととし、幡多郡、宇和海両関係海区より3名の代表委員を出して土予連合海区漁業調整委貝会を組織し、民主的な入会調整を図ることとなった。その後高知県より漁業制度改正を機会として、従来の入漁契約の白紙撤回と入漁拒否を要求したが受け入れられず、このことが原因となって紛争が再燃した。
昭和27年2月土予連合海区漁業調整委員会において暫定協定がとりきめられ、愛媛県の入漁区域は大藤島と水島を結ぶ線以北となり、25年の協定より若干縮少された、その後本協定締結のための話し合いが十数回にわたって繰り返されたが、両県の主張は大きく異なり、暫定協定は期限切れとなった。28年5月28日水産庁瀬戸内海漁業調整事務局は事態収拾のため、両県当局者、両県海区漁業調整委員会長および地元代表の漁業調整委員等を神戸に集め、調停に当ったが事態の進展は得られなかった。水産庁は6月10日再度関係者を招き、調整方針を提示したが入漁統数で折合いがつかず、以後3日間にわたって統数問題を中心にして話し合いが繰り返されたが、最終的合意が得られず、統数については水産庁の裁定を仰ぐこととなった。水産庁は統数を除く他の項目について協定を結ぶよう両県に指示し、6月13日両県はこれを受け入れ、難行した本協定を締結することができた。水産庁は後日愛媛県側の入会統数を27統と裁定し、両県に通知し正式な協定書ができた。
昭和30年5月7日に協定は更新されたが、再び昭和4年の協定と同じ海域へ拡大され、入漁統数も愛媛28、高知12に増加した。昭和32年6月18日再締結されたが、31年以来の宿毛湾のいわし漁の不漁と、愛媛県漁業者の大堂漁場への侵漁が本県釣漁業者を刺戟し、数回にわたって土予連合海区漁業調整委員会で協議したが進展しないので、又水産庁瀬戸内海漁業調整事務局に調停が持ちこまれた。そこで水産庁は調停にたったが高知県漁業者の愛媛漁船違反操業に対する反感が強く、協議は進展しなかったが、やっと36年7月16日に更新を見ることができた。
この協定では愛媛の入漁統数は19統と大幅に減少すると共に、違反操業に関しても厳重な処分をするよう明記された。
38年3月31日入漁協定期間満了以後両県ならびに土予連合海区漁業調整委員会の間で幾度も協議が行なわれ協定更新の努力が払われたが前協定期間中依然として違反操業が絶えなかったので、高知県側の協定拒否の意向は強く解決は容易に得られなかった。したがって38年4月1日以降は無協定の空白期間となった。しかし愛媛県漁船の侵漁は、この期間中も続けられるようになり40年に入ってその数は増加してきた。この事態を重く見た高知県知事は3月16日と4月13日の2回にわたり、水産庁長官及び瀬戸内海漁業調整事務局へ厳重な行政処分と取締強化について要望すると共に、愛媛県知事に対しても、厳重な行政処分と違反防止を徹底するよう通知した。そのうち水産庁長官への要望書は次の通りである。
     昭和40年3月16日
   水産庁長官   松 岡   亮殿
                高知県知事
  愛媛県大中型まき網漁業の違反操業に関する行政処分について(要望)
宿毛湾及びその南東海域における愛媛県大中型まき網漁業の違反操業防止については、機会あるごとに関係者に対し厳重に注意し、自しゅくを促してきたところでありますが、本月7日
  第22天王丸(69・30トン、所有者住所氏名略)
  大  福  丸(59・96トン、    〃   )
が高知県宿毛市沖の島燈台南東1・5〜1・6マイル付近において、同11日
  第35大島丸(59・13トン、所有者住所氏名略)
が高知県宿毛市沖の島東側距岸300メートル付近で違反操業中、いずれも高知県海上保安部に検挙されました。
(関係書類については後日高知海上保安部から送付)
また同月9日同海域において愛媛県大中型まき網漁船光龍丸(59・80トン)と当県中型まき網漁船の衝突事故が発生しております。
同海域は本県かつお、めじか一本釣の主要漁場でこれら漁業との調整上1月13日から6月15日までは禁止区域であります。
右記違反操業により関係漁民、特に一本釣漁民を極度に刺激しており、また現在両県間で調整中の宿毛湾および宇和海における相互入会操業締結についても支障をきたす結果となっておりますので、これら船舶については厳重な行政処分を行なわれるよう要望します。なお今後も違反操業が行なわれることが予想されますので、取締りについてもよろしく御高配を賜わりますようあわせておねがいします。

しかしその後も依然として侵漁船はあとを絶たず、この密漁に怒った清水市の漁民は、5月23日密漁船の中型まき網漁船幸戎丸(20トン)を清水港内に引航して機関室に放火する焼打事件が突発し紛争は拡大していった。
5月27日には違反操業反対県下釣魚民大会が高知市で開催され、火光利用巾着網漁区拡張反対期成同盟会の名をもって県議会ならびに執行部に対し同大会決議による7項目からなる要請がなされた。
県議会ならびに県はこの要請に応じて6月まき網漁業違反防止緊急対策要綱を定めると共に、愛媛県まき網漁船の違反操業取締強化について、関係中央官庁に要望するとともに本県選出国会議貝に対して協力方の要請を行ない、又愛媛県当局並びに同県議会に対しても、まき網漁船の違反操業に対する厳重抗議を行なった。
    陳 情 書
巾着網違反操業の問題は、過去10数年間に亘り、その度ごとに県当局並びに海上保安部、漁業調整委員会等に対し厳重なる処分と、その後における処遇方を強く要望して参った次第でありましたが、今なお違反は容赦なく続けられているのであります。本年3月に入ってからもすでに数回に亘って検挙され、その数実に11船団37隻にして、自粛操業とは単なる虚言であり、漁業秩序を容赦なくふみにじられ日頃のうっ積した感情は一挙に爆発し、激昂した漁民は、大漁時期にもかかわらず、忽ちにして一斉休漁の上に立って漁民大会が開かれた次第であります。その憤激の度は正に最悪の事態を惹起致しましたことは周知の通りであります。若し今後に於て、かかる違反が発生致すならば、如何なる事態に直面するやも計り知れないものがあり、憂慮に耐えない次第であります。どうか本問題の重大なる点をより充分御認識を新たにされまして最善の方途を講じられますようここに強く懇請申し上げる次第であります。
私達は2度に亘る漁民大会の決議の趣旨をここに列記し、これが早期実行方について強く御要望申し上げます。
     記
 1、県当局は、取締船を新造して清水港へ専任常駐し万全を期すること。
 2、違反船の漁業許可は直ちに取消すこと。
 3、宿毛湾への愛媛県船の入漁協定は絶対認めない。
 4、海上保安部清水分室を早急に海上保安署とする昇格方を積極的に推進願うこと。
 5、違反操業の取締りを一層強化すること。
 6、大海区制については絶対反対である点を再確認してここに表明する。
 7、違反操業以後漁獲皆無で休業した全船に対する補償金を愛媛県に強く要望する。
  昭和40年5月27日
   火光利用巾着網漁業区拡張反対期成同盟会
             会長  上 原   勇
                関係組合連記

昭和27年までの宿毛湾入漁協定図 昭和44年入漁調整概要図
昭和27年までの宿毛湾入漁協定図
昭和44年入漁調整概要図

愛媛県知事からは40年6月9日違反操業について陳謝がなされた。その後両県執行部ならびに土予連合海区漁業調整委員会の努力により、40年9月1日暫定協定の締結を見ることができた。引き続き両県関係者で本協定調印についての協議が続けられ、41年1月24日に有効期限42年10月31日までとする本協定が調印された。
昭和42年度指定漁業許可一斉更新の前に、大海区制実施の問題が42年6月の愛媛県議会で取り上げられその動きが活発化した。本県漁民は入会操業は大海区制の足がかりになるということから、今後の協定は絶対認めないという機運が高まる中で42年10月26日愛媛県農林水産部長他2名が入漁協定締結を要請するために来県したが、話し合いは進展しないまま物別れとなり本協定は期限切れとなった。そこで水産庁瀬戸内海漁業調整事務局のあっせん等が行なわれ、43年2月2日暫定協定が結ばれ6か月以内に本協定を結ぶこととした。その後水産庁が調停にたち調停案を作ったが、入漁海域について高知県が反対して期限切れとなり又空白期間ができた。しかし水産庁を中心として引き続き交渉を続けた結果、入会区域を大藤島から姫島東端を見通した線以北の海面であって、かつ叶崎から沖の島櫛ヶ鼻西南1000メートルの点を見通した線以北の高知県沖合海面、並びに宇和海における愛媛県沖合海面とすることで調停が成立し3月4日に調印する運びとなった。ところが土佐清水市を中心とした釣漁民約500人が入漁協定反対漁民集会を開き県関係者に撒回を強く要求したので、高知県は調印を延期し一本釣漁業を主として行なっている柏島以東赤岡町に至る主な漁業組合で説明会を開いて協力を求めると共に、漁民の要望を聞き要望事項をまとめて調停に立っている水産庁へ要望した。そして44年4月4日に調停が成立したが、入漁海域について姫島西方にある沖ノ瀬海域は、入漁期間が8月1日から11月30日までと制限された。
つぎの協定は48年5月22日に更新調印され50年5月21日までの期間としたが、更新期が近づいた50年4月25日と5月17日の土予連合海区調整委員会でも高知県漁民の声を反映して高知県側委員に協定破棄の主張が強く、これができない時は沖ノ瀬海域への入漁を協定より除外することを提案した。そこで話し合いがまとまらないままに期限切れとなり協定空白期間ができた。その後高知県水産課の努力などにより7月1日の両県連合海区調整委員会で合意に達し協定が成立した。
特に変った点は愛媛県9統、高知県15統としたこと。沖ノ瀬海域での操業期間を8月から11月末日までであったのを、9月15日から11月30日までとして45日間短縮したことであった。なお協定期間は昭和52年6月30日までとなっている。