宿毛市史【近代、現代編-教育−高等学校教育】

高等学校教育

高知県立宿毛高等学校
明治維新以来数多くの日本的人材を輩出した宿毛では旧制の中学校の設置が非常に遅く、常に県当局に陳情を続けてきたが、昭和15年に旧中村町に幡多農林が設立された時、翌16年には、宿毛にも農林学校を設立するという協定ができたのである。しかしこの年地元造成の建設資金、その他の理由により、この案は日の目を見ることができなかった。
ついで、昭和17年8月、町長頼田松助を宿毛中学校建設期成同盟会長として活発な活動を開始し、同年11月には県立宿毛中学校設置議案が県議会で委員会付託となり、本格的に設置の方向が決定した。
その後、建設期成同盟会の努力や、郷土の先輩坂本守正氏より多大の経済的援助をうけ、基金募集も軌道にのり、昭和19年に開校の運ぴとなったのである。

県立宿毛高等学校
県立宿毛高等学校
以下同校の沿革の概要を述べる。
昭和19年4月  高知県立宿毛中学校開校、初代校長間崎霞、2学級114人、教師は校長以下5名という悪条件で
             出発。
昭和21年 5月 高知県立中村高等女学校宿毛分教場設置。
昭和22年 9月 第2校舎落成。
昭和23年 4月 学制改革により高知県立宿毛高等学校となる。
           高知県立宿毛女子高等学校開設。
昭和23年 6月 定時制開設。
昭和24年 5月 定時制小筑紫分校開校。
昭和24年 8月 高校再編成により女子高と合併、全日制普通科、商業科、家庭科、定時制普通科により編成。
昭和28年10月 講堂落成。
昭和35年 4月 小筑紫分校に無線通信科新設。
昭和36年 4月 家庭科募集中止。
昭和38年 4月 分校の無線通信科、全日制となり、全日制被服別科創設、北校舎落成。
昭和39年 4月 北校舎2期工事完成。
昭和41年 3月 小筑紫分校定時制普通科、被服別科廃科。
昭和42年 2月〜43年3月 新校舎(鉄筋)完成。 
昭和47年 1月 屋内運動場新築。
昭和49年 4月 大月分校(全日制普通科2学級)開設。

高知県立宿毛工業高等学校
宿毛市に農業高等学校設立の空気も次第に強くなり、地元より陳情も度々行われ、ついに昭和29年5月1日には幡多農業高校の山奈分校の設立認可がおり、6月1日に開校、入学式を行なったのである。その時はまだ校舎もなく、校舎を建てる土地さえ正式には決っておらず、山奈中学校への仮住居であった。

県立宿毛工業高等学校
県立宿毛工業高等学校

その後敷地を雁ヶ池と定め、昭和31年3月1日に校舎が落成して移転し、順次農校らしく農具舎、農産加工室、収農作業室、畜舎、堆肥舎、温室、サイロ等々が整備され、昭和38年1月1日に高知県立宿毛農工高等学校として独立が認可され、同年4月1日全日制第1学年(農業科、農村家庭科、機械科、工業化学科)が発足したのである。こうして今までの農業科に加えて工業科が置かれたので工業高校としての設備も次第に整備されたが、昭和42年には幡多農工高等学校と統合することとなり、農科は順次募集を止め工科のみ残してやがて昭和44年4月1日に高知県立宿毛工業高等学校と改称され機械科、工業化学科、土木科、自動車科の4科がおかれたが、昭和51年度には工業化学科の募集を停止して機械科、土木科、自動車科の3科となっている。