宿毛市史【近世編‐教育‐藩政時代の教育】

歴代領主と学問

 3代節氏 幼少の頃から野中兼山の影響をうけ名領主といわれ、『清文公(節氏)一代記』のなかにも、文武に関する事項が数か所出ていることをみても、学問奨励の一端がうかがわれる。
 4代倫氏 まだ領主とならない若さで、藩の執政を命ぜられた程の領主で、文武を振興したことは、谷干城撰文の中村重遠碑文の一節に「宿毛はわが土佐の西境にして大夫安東氏の鎮むるところなり、貞享元禄の間、良大夫安東倫氏なる者あり、大いに文武を振興す、ために人材輩出し、爾来その人に乏しからず、近時岩村礫水なる者あり、その主張郷政末をたすけ是に於てか有用の材欝然として復興す。維新の役にわずかに一郷の力を以てよく2小隊の兵を出し以て王師に属す、人物の国家に関する亦大なり…」と伊賀氏の歴代の薫陶を賞賛している。
 6代氏興 浅見絅斎の門人で美代敦(厚)本という高知の貧乏儒者を師として教をうけたことは、身分格式に関係なく、学問を尊重し真理を追求した好例である。(『高知藩教育沿革取調』)
 10代氏固、11代氏理、ともに藩の執政として多難な幕末の藩政に貢献すると同時に宿毛領内において、郷学校をおこし子弟の教育を振興したのであった。
また氏理については、その歌集「雪百首」「月百首」などをみても、氏理自身も文学の素養豊かな領主であったことが知れる。