宿毛市史【近代、現代編‐明治維新と宿毛‐宿毛機勢隊】

岩村三兄弟戦場での再会

有造ら兄弟3人は、柏崎での夜久し振りで再会を喜んだ。特に高俊は前年の春、通俊と大江卓3人が連れだって長崎へ出て以来有造とは顔を合わす機会がなかった。
高俊は慶応3年9月長崎に行き、長崎より京に出て高野山の義挙に加わり、慶応4年1月岩倉具定に従って江戸に向い、4月には軍監となり3,000の兵を率いて信濃、越前、奥羽各地を転戦し、特に河井継之助の死守する長岡城を攻略して勲功をたて、柏崎に来ていたのである。兄弟3人が遠く故郷を離れた戦場での対面は、互いに無事と健闘を喜び合ったことと思われるが、『貫堂存稿』によると、この再会の場で「たまたま仁和寺宮家の提燈ちょうちんは皇室の御紋章と同じ菊花であり、岩村家の定紋も中央に横一の入っただけの菊一文字であることに気付き、恐れおおいという事で兄弟相談の結果、久し振りに戦場で相まみえたという印に一対の「抱柏葉紋」とすることに決めた。」という話が残されている。