宿毛市史【近代、現代編-自由民権運動-宿毛合立社】

宿毛合立社

「宿毛合立杜」の開設年月日、社員等の詳細については明らかではないが、前記国会期成同盟が明治13年4月に出した「国会を開設するの允可を上願するの書」の代表署名者によると
    高知県土佐国幡多郡一萬八千百八十四人総代
    同県同国同郡宿毛村三百三十二番地
                                士族  浜田三孝
    同県幡多郡宿毛村合立杜(員)の内二百五十名総代 同県同郡同村五十四番地
                                士族  林 包明
となっているので、宿毛合立杜員は250名もいたことがわかり、中央公論社出版『日本の歴史』21近代国家の出発の自由民権・新風来たるの中に、「第3回愛国社再興大会の時、本社の経費を負担するだけの力をもっていたものは、松山の公共社と土佐合立社と松山の笠津社3社にすぎなかった。」と書かれているところから見ると、財政的な能力も持っていたものと思われる。

趣意書
宿毛「合立杜趣意書」の内容は、「交際の裨あり益ある、結社の利ある要なる輿論の許すのみならず、男子処世の要道にして苟も人の智富徳の益皆之に依らざるなし…」というように文語体で書き表わされている。全文を要約すると
「交際するということが助けになり、役に立つという事、又結社の利益と必要さは世論が認めるだけでなく、男子処世の大切な方法で、仮にも智・富・徳の利益は皆これにたよらないという事はない。これが結社の計画の理由が生じる所で、結び付きが長く続くことがすぱらしいと言われるのも又当然ではないだろうか。
わが合立杜の趣意である所の各人の権利を主張し、参政権を取るよう進んで事を起し、それによって自由の清泉で髪を洗い、自主の快風で髪をとかすという名誉を得、そして一生涯の事業に務めなければならない。
読書をすることによって智と徳を兼修し、演説することによって弁説をさわやかにし、意見を論ずることによって物事の筋道を判断し、そして論ずべき点は論じ合い、責め正すべき点は責め正す、政令といえども同じで正しい道理に背むき、政令の約束からはみ出すものはいかにしても論じてその説を破り、これを退け、権利の存在する範囲内で行動して、それぞれ自分の道徳上の義務を尽し、束縛されない独立の人民であるという名前に恥じないよう務め、そして国家を擁護する責務にあたろうとする。これより他に男子一生の功業がどうしてあるだろうか。
有志の方は入社して協力し合い行動をおこそうではないか」と政治思想の普及を図り、政党創立の必要性を説いている。