宿毛市史【考古編-繩文時代-繩文時代の生活】

繩文中期

中期は、今から約4000年前の時代であるがこの期の遺跡も、前期の遺跡とともに、非常に少なく、長期問集落をつくって生活したと思われる大遺跡はまだ発見されていない。
幡多地区でこの期の遺跡は、十和村広瀬・土佐清水市松崎・西土佐村藤の川・中村市国見・宿毛市宿毛貝塚などで、そのほか橋上町の池ノ上遺跡も、この期であろうと考えられる。
この期の土器は、粘土のひもを、たてよこにはりつけたり、口縁部や肩に、立体的な飾りをつけたりして、極めて装飾性に富んでいるのがその特徴である。新潟県の長岡博物館にある火炎の壼は、その代表的なものの一つである。
幡多地区で、この期の土器が発見されたのは、宿毛貝塚と、広瀬・国見両遺跡だけで、口縁にそって隆線文が、みみずばれ状にはりつけられ、それに爪形文をつけたもので、3つの遺跡ともほとんど同じものである。

宿毛貝塚C式土器
宿毛貝塚の出土品の中に、ほんのわずか中期の土器が発見されていたので、宿毛貝塚のどこかに、中期の土器(C式土器)の出る所があるだろうとされていた。
宿毛貝塚はその大部分が繩文後期であるが、中期の土器や、中期の(けつ)状耳飾が出土するということは、宿毛貝塚が中期ごろからはじまったと考えてよいことになる。
昭和45年、宿毛東貝塚の南端に石垣を築く際、南端近くの下部から出た土器の中に、数点の中期土器(C式土器)が出土し、中期土器の出土場所がはっきりしたのである。貝塚の貝層は、この中期土器出土地点を起点として北へ、更に東西へと拡大していったものとみえ、北部や東部西部は繩文後期のものだけ出土する。
しかし、この東貝塚は、あまり発掘されていないので、中期土器の分布の状態が明らかになったわけではなく、だだ1地点だけ中期土器の出土地が明らかになっただけである。
この中期土器は、あらい繩文地に爪形文の突帯をつけ、あるいは口唇部にも爪形文をつけるというように、爪形文をつけた土器で、繩文中期でも、ごくはじめごろの土器である。
宿毛貝塚の中には、この土器より後の中期後半土器もどこかにあると考えられるが、あまり発掘をしてないため、この点はまだ明らかになっていない。

宿毛貝塚出土の繩文中期の土器 宿毛貝塚出土の繩文中期の土器
宿毛貝塚出土の繩文中期の土器 宿毛貝塚出土の繩文中期の土器

(けつ)状耳飾
宿毛貝塚の、中期初頭の土器と同じ時代の(けつ)状耳飾が、宿毛貝塚から出土している。
(けつ)状耳飾というのは、中国のという器物に似た耳飾りという意味で、主として繩文前期から中期にかけて使用されたものである。
耳飾りは、繩文早期に指貫形のものがあり、前期になると金環形となり、中期には次第に扁平なものになったようである。
幡多地区では、十和村広瀬、土佐清水市の松尾と松崎、それに宿毛貝塚の4か所から状耳飾が出土している。
松尾出土のものは、その断面が円形に近いので繩文前期のものと思ってよく、松崎と宿毛貝塚のものは、断面がやや扁平になっているので、縄文中期初頭と考えられる。広瀬のものは極めて扁平であるので、縄文中期の後半のものであろう。
これらの(けつ)状耳飾は、すべて蛇紋岩製で、広瀬のものは緑色、他は乳白色である。
このように、幡多の各地から(けつ)状耳飾が出土するということは、繩文時代人の耳飾りをつける風習は、かなり一般化していたと考えてよいようである。

幡多の各地より出たけつ状耳飾 宿毛貝塚出土のけつ状耳飾
幡多の各地より出たけつ状耳飾 宿毛貝塚出土のけつ状耳飾

池ノ上遺跡
橋上町楠山字池ノ上にある遺跡で、松田川の河岸段丘にあり、川の右岸と左岸にまたがっている。
礫を打ちかいで作ったとみられる礫器や、石器剥片等が出ており、その打ちかぎ方などから、あるいは先土器時代のものもあるのではないかと思われるが、まだ確認されていない。スクレイパー(ナイフ)や、打製石斧も出土しており、これらは繩文中期頃に位置づけるのがよくはなかろうか。土器が確認されていないので、確実な時代の決定ができない。

池ノ上遺跡出土の石斧 池ノ上遺跡出土の石鏃
池ノ上遺跡出土の石斧 池ノ上遺跡出土の石鏃

笹平遺跡
繩文早期の項でのべたように楠山の字笹平山にある遺跡で、繩文早期から後期にかけての遺跡である。
スクレイパーや石斧石鏃が多く出土しているがこれらは大体繩文中期から後期のものであろう。スクレイパーにはつまみ部を有するものと、無いものがあり、皮はぎ、肉きり等ナイフの用にしたものであろう。石斧は方形に近いもの・円形のもの長方形のもの・ばち形のもの等がある。石鏃・スクレイパーについては17頁に実測図をのせている。

笹平遺跡出土の石斧
笹平遺跡出土の石斧

宇須々木遺跡
ここからは繩文中期と思われる石鏃が発見されている。姫島産黒曜石で作ったもので、二等辺三角形がたの基部のえぐりの深いものである。小さく押しかいで作っており精巧なものである。他に姫島産黒曜石の剥片も出ており、早期と思われるスクレイパーも出ているので、早期から中期にかけての遺跡である。

宇須々木遺跡出土の石鏃
宇須々木遺跡出土の石鏃