宿毛市史【古代編-宿毛村の誕生-】

宿毛村の発生地

宿毛村の発生について、竹村照馬氏は、『宿毛市史稿』の中で次のように述べている。
長宗我部地検帳(1590)によると、宿毛沖積平野のなかには、松山(土居下)虹山(沖須賀)西山(仲須賀)丸山(萩原)などの地名が見えている。これは、宿毛潟が次第に干潟となって、その中にできた州の小山であったと考えられる。製塩業や水田耕作を営むために、この干潟の中に移って来た古代人は、来潮や洪水の氾濫を避けるためにも、この小山を中心とした集落をつくったに相違あるまい。この小山の中でも、西山の周辺は今、仲須賀と呼ばれるように、この干潟のほぼ中央にあって、最も大きな州となっていたので、これ等の首長が、まずここに住み、彼等の崇拝する大山咋命を祭って、次々に移って来た他の集落を支配したのであろう。この西山周辺の集落が、のち宿毛村の発生地となったのである。
長宗我部地検帳によると、宿毛村(郷)のうち、宿毛村と記されているところは、仲須賀とその南方を流れる荒瀬川の北岸までの地域である。その他の地域は、宿毛延明寺村(沖須賀)宿毛松田村(土居下・真丁)宿毛唐人名村(本町・新町)宿毛和田村・宿毛二宮村など宿毛を冠しているが、別の村名が付けられている。このことは、のちに宿毛村に統合されたことを物語るものであろう。