宿毛市史【古代編-式内社と仏教】

高知坐神社

延喜式内社は、各地の数多くの神社の中から勅撰されたもので、いわば名誉ある神社である。祭典日には朝廷や地方の役所から幣帛を供進する神社である。
延喜5年(905)から延長5年(927)にわたって作られたといわれる延喜式神名帳の記載によれば、土佐国に神社が21社あり、幡多郡には3社が記されている。そのうちの一つは、大方郷入野村(現大方町入野)の賀茂神社(賀茂八幡)で、祭神は別雷神で賀茂姓の者の創建だろうと伝えられており、旧郷社であった。
次に、土佐清水市下ノ加江の伊豆田神社である。「伊都多の神社は伊豆多坂の西鳴川谷高知山にあり、玉石2枚を以て神体となす」(式社考)という。旧無格社である。
今一社は、枚田郷戸内村(現宿毛市平田町戸内)にある高知坐神社で、旧郷社である。祭神は都味歯八重事代主神で右相殿が大国主尊、左相殿が素盞鳴尊が祭られている。
天正地検帳によると高持社御宮床内三間四間の御宝殿アリ、三間四間舞殿アリ、三間五間横殿アリ、と記され、現存の建物に劣らぬりっぱなものであったが、江戸時代になって伊賀氏(宿毛山内氏)の尊崇あつく、現在の社殿はその造営である。すなわち、7代の領主氏篤が、幼時しばしば病にかかり、父郷俊がこれを神に祈って、その加護により成長することができたので、明和5年(1768)11月に社殿を修復したものである。願主は氏篤の嫡男氏益、大工頭中山喜平次行重、棟梁大工北岡芳年具応である。
現在の本殿は桁行二間、梁間二間で小枌葺の流れ造りで、三間四面の鞘殿の中に納められている。拝殿と幣殿は1棟で、共に明治10年1月2日の落成である。本殿は昭和30年県の文化財に指定されている。宝物には、獅子半身像およぴ一条房家公奉納の鉢と鈴がある。ほかに至徳紀年の鰐口があったが今はない。
これらの延喜式に挙げられた社は、当時の国司、郡司または豪族の推せんによったものであるといわれているので大方・鯨野・枚田3郷には、朝廷につながりをもつ有力な豪族が居たのであろう。また、式内社は所在地域を支配していた豪族と結びついていたようであるから、大方・鯨野・枚田の地域は、当時、かなり開けた地域であったものと思われる。
高知坐神社拝殿 高知坐神社 高知坐神社にある房家奉納の白鉢
高知坐神社拝殿 高知坐神社 高知坐神社にある
房家奉納の白鉢