宿毛市史【古代編-平安時代の宿毛】

七日島の伝説

七日島(小筑紫)
七日島(小筑紫)
七日島というのは宿毛市小筑紫湾内にあった小島であるが、戦後陸地と島との間を埋め立て現在は陸続きになっている。小筑紫小学校のすぐ前のこんもりとした山がそれである。現在頂上付近に遊園地がつくられ、その少し下に天満宮も祭られている。
平安時代の昌泰4年(901)正月、菅原道真が藤原時平の他氏排斥の犠牲となり、右大臣から太宰権帥に下げられ九州へ左遷されるとき、途中暴風雨のために船がこの島に漂着した。この時、菅原道真が、「ここも筑紫か」と問われたことから、小筑紫という地名が起こったと伝えられ、一行はここに7日間繋船した。それ故にこの島を七日島と称するようになったというのである。
更に丞相碆、つづみが浦、響きの松等菅公を想わせる名勝地がある。
今、この島に天満宮があるが、この天満宮の由来は前記の道真公が漂着したことによるものである。また社伝の中の一説に「菅公言う薨后渡会春彦者御遺物ヲ携へ当港へ着船シ自ラ菅公ノ神霊ヲ奉斎地名ヲ小筑紫ト名付ク其後春彦ハ高視卿を奉慕御遺物ヲ奉テ土佐郡へ立越由云云」とあり、これによると、道真の死後侍臣渡会春彦が道真の遺物を高知潮江の菅原高視(道真の長子で、道真が左遷されるとき連座して土佐介に左遷された。)の所に送る途中、ここに立寄リ、一部の遺品を残してこれを神体として神社を創建したのに始まるというのである。
宿毛の伝承でも、宿毛市藻津の海岸にある「渡り小島」は、道真の遣臣白大夫(春彦の別名)が、九州から土佐へ渡ったとき、最初に船を着けた所で、この地名が起こったと伝えられている。渡会春彦は九州から宿毛付近に上陸したというのである。

小筑紫の天満宮(七日島) 渡り小島(藻津)
小筑紫の天満宮(七日島) 渡り小島(藻津)