宿毛市史【中世編-一条氏と宿毛-】

一条家系譜


              カネ
              
              |
  ------------|
  |   |       ノリ
  フユ   ジン   土   フサ
     ソン   佐   |
  |       一   |
  フサ       条   |
  ミチ       ↓   |
  :       --------
  略       |      |
          フサ      マサ
          イエ      フサ
          |       
  --------|      兵
  |   |   |      庫
  フサ   ヨシ   フサ      に
  ミチ   フサ   フユ      死
          |      す
  一   大 --|
  条   内 | フサ
  冬   義 小 モト
  良   隆 松 |
  養   養 谷 |
  子   子 殿 カネ
          サダ
          |
          |
          ウチ
          マサ
          |
          |
          マサ
          チカ

一条教房……北家藤原氏、関白太政大臣従一位准三后一条兼良の長子。従一位関白左大臣、氏の長者。応永30年生まれ。応仁2年9月25日土佐へ下向。文明12年10月8日薨去。58才。妙華寺前博陸左相照岳と謚し中村妙華寺に葬る。
初代房家……教房の次男。正二位権大納言土佐守。文明9年生まれ。天文8年11月13日薨去。年63オ。藤林寺殿正二品東泉大居士と謚し平田藤林寺に葬る。
2代房冬……房家長男。従三位左近衛中将土佐守。明応7年生まれ。天文10年11月6日薨去。年44オ。円明院殿二品幕下明叟宗賢と謚し中村円明院に葬る。夫人は、伏見宮邦高親王の王女。
3代房基……房冬長男。従三位非参議土佐守兼阿波権守。大永2年生まれ。天文18年4月12日薨去。年28才。光寿寺殿三品中郎将香叔と謚し、中村光寿寺に葬る。夫人は、大友義鑑の女。
4代兼定……房基長男。従三位左近衛中将権中納言。天文12年生まれ。天正3年渡川の合戦に敗れて伊予に逃れ戸島で害される。天主教徒となって天正13年病死し、戸島の竜集寺に葬る、年33才、天真院殿。キリシタン名をドン・パウロといった。夫人は字都宮元綱の女。後大友義鎮(宗麟)の女。
5代内政……兼定長男。従四位下右近衛中将。天正8年波川玄蕃の乱に組し、翌年に元親により伊予に追放され程なく病死したという。天叟院殿。夫人は長宗我部元親の女。世に内政をもって土佐一条氏の終りとする。
6代政親……内政長男。右衛門祐と号す。長岡郡大津村で生まれ、後天正8年久礼田に移る。慶長6年長宗我部盛親に従い京都へ移るという。