宿毛市史【中世編-戦国古城-】

平田町の城跡

平田城
平田城は、平田町黒川字二重にあって、城主は平重盛の家人平田太郎俊遠がもと居たがその後、秦氏(長宗我部氏)のころ、兼松兵衛がこの城の城番を勤めた。
平田太郎俊遠は、寿永元年(1182)蓮池権頭家綱と共に、土佐に流されていた源希義 (源頼朝の弟)を討った。
希義は、平治の乱で父の義朝が敗れた翌年平家に捕えられて、土佐国長岡郡介良庄に流された。当時、土佐国は平家の領地で、家入蓮池家綱を土佐国司として高岡郡蓮池村に置き、平田太郎俊遠(地頭職か)を、幡多郡平田村に置いたのである。
平治の乱から21年後、頼朝が東国の石橋山で、平家討伐の兵を挙げるや、平家方は土佐に居る希儀が頼朝に応じて挙兵することを恐れ、重盛は蓮池家綱、平田俊遠に命じて希義を討たせたのである。
この事を聞いた夜須行家は、ひそかに鎌倉へ上り、頼朝に報告した。寿永3年11月、頼朝は伊豆右衛門尉有綱に協力を命じ、夜須行家等と共に、蓮池家綱、平田俊遠を討たせた。俊遠は、平田城外で戦死した。
この城跡からは最近まで、焼米や土器などが出ていた。

新城
平田村地検帳に「新城ノ谷一所三十代、出十八代壱分勺、下 内弐代四分荒、平田村、中村甚九良給」とあり、そのほか「新城ノ南」「新城ノ東」「新城ノ北ノ谷入」「新城ノ南ノ東」等の地名も出ている。城跡、城主とも不明である。

カネ松城
平田町黒川の大船神社を祭っていた山の西側に、カネ松城跡がある。通称「シロントウ」と呼んでいるが、土地台帳に「カネ松城」と登記されていて、現在この山の下に住んでいる黒石功氏がここを所有している。城跡には今すぎやひのきを植林しているが、堀の跡や石グロが残っていて古城跡の面影が見られる。なお、古い祠が建っていておいなりさんを祭っている。黒石功氏の話によると、黒石氏の家は祖父の代まで城跡の所にあったという。
地検帳に「カネ松城三タン懸テ、一所三十三代、久荒、古城、平田村、藤林寺領」とある。

カネ松城跡
カネ松城跡

高田城
地検帳に、カネ松城と並んで記されているので、恐らくカネ松城の近くにあった城と思われるが、城跡の確認ができない。
地検帳に「高田城三タン懸テ、一所拾八代弐分、久荒、古城、平田村、藤林寺領」とある。

コウノ城 (郷の城)
地検帳に「コウノ城西ノ外田共二、一所拾代、出十九代、下々ヤシキ、内十三代荒。平田戸内村、寺山領」とある。

イマ城
平田町戸内の橋の西側に、小高い山がある。この山の一角がイマ城跡である。土地の人々は、通称「イマンジョウ」と呼んでいる。
地検帳に「イマ城上下懸テ前弐段地、一所壱段四十三代壱歩、中ヤシキ、平田戸内村、福井分、小島民部大夫給、兵部□」とあり、天正3年頃元親に攻め落とされて、元親は小島民部大夫に与えたものと思われる。

イマ城跡
イマ城跡

吉藤城
地検帳に「吉藤城、一所拾代、久荒、古城、平田戸内村、御直分」とあり、戸内村にあったことはわかるが、どこにあったかその場所はわからない。城主も不明である。

西田城
城跡は、平田町戸内部落の北西にあたる山の上にある。城跡は一反余りの広い平地となっており、松が一面に植林されている。南面は2段になっていて、堀の跡も見られる。
西田城跡より西方2、300メートルの所に西村城跡があり、西村城跡より更に200メートル程西方に布本城跡がある。なお、西田城跡より北東わずかな所に、ササガ森城跡、シイノ木城跡があり、これらの城は布城の支城ではなかったかと思われる。これらの城は土地台帳に「西田城」「西村城」などと記されておる。
地検帳に「西ダ城西東共、一所参拾八代、下々山畠荒、古城、平川村、布分、散田」とある。

西田城跡(右)西村城跡(左) 国道56号線より望む
西田城跡(右)西村城跡(左) 国道56号線より望む

西村城
布本城と西田城にはさまれた位置にあることから、土地の人は「中ノ城」ともいっている。ここも堀や礎石が残っていて、古城跡が偲ばれる。この付近の山を所有している堀本新吉氏の話しによると、土地古帳に西村城と明記されており、昔はここで牛馬を使って芋や麦を作ったという。今はすぎや松が高く伸びている。
地検帳に「西村城、一所弐拾代、出弐拾四代五分、下々山畠荒、古城、平田戸内村。布分、散田」とありこの城も布城の支城であったと思われる。

ササガ森城
城跡は平田町寺尾の国道沿いのおじまストアーの店の真向いに見える山で、布本城の東北東4、500メートルル程の所にある。恐らく布城の支城と思われる。
地検帳に「ササカ森、一所拾七代弐分、下々山畠荒、古城、平田戸内村、分布、散田」とある。

布城 (布本城)
城跡は、平田町戸内部落の北西にあたる山頂にあり、頂上は広い平地となっていて、今小さいひのきを植林してある。南側は2、3段になって、ふもとまでは比較的ゆるやかであるが北側は急斜面になっている。戸内部落の元区長山本政吉氏の話しによると、区長場にある書類にもここが布本城となっているという。
布本城の付近には西村城、西田城、ササガ森城、シイノ木城などがあり、これらの城は恐らく布城の支城であったものと思われる。城主は、一条氏の家臣布玄番といわれ、天正3年元親軍に攻められて落城した。このとき玄蕃は宿毛の蔵橋城へ逃れたが、蔵橋城外で戦死したという説もある。
地検帳に「布城、一所参拾六代、下々山畠荒、古城、平田戸内村、布分、散田」「同ニノ塀、一所拾壱代、下々畠荒、同村、同分、散田」などとある。

布城跡
布城跡

ムカイ城
地検帳に「ムカイ城四タン懸テ、一所四拾八代四分、下々山畠。平田戸内村。生白分、寺山領」とある。
城跡、城主とも不明である。

シイノ木城 (椎木城)
城跡は平戸町戸内のブロック工場の裏山である。土地の人々はこの山を「シイノキジョウ」と呼んでいる。
地検帳に「シイノ木城ノ北、一所四拾代、出九代、下、平田赤木村、和井野分、金子周防守給」そのほか「シイノ木城ノ谷セイ本ヱ入テ付」「シイノ木城ノ下」「シイノ木城ノ西」「シイノ木城ノ北」などの地名もでている。城主は不明である。
その他、古城略史等によると平田町に、次のような城があったことが記されているが、場所、城主など詳細についてはわからない。
戸内城。小鷹城。黒川城。東城。八幡城。荒城。

シイノ木城跡
シイノ木城跡