宿毛市史【近世編-伊賀氏-伊賀氏の先祖】

伊賀氏

慶長5年(1600)9月15日の関ヶ原の戦は、まことに天下分け目の戦であった。この戦で西軍に属した長宗我部元親は土佐の国を没収され、東軍に味方した遠州掛川の城主山内一豊は、徳川家康から土佐二十四万石を与えられ、ここに新旧交代して、山内一豊が土佐に入国することとなったのである。
一豊の入国にともなって、一豊の姉、つうの子、可氏を宿毛に配して国老とし、それ以後可氏の子孫が、代々宿毛を領して明治維新に至り、現在もその家系は伊賀家として伝わっている。
可氏の先祖ははじめ稲葉氏次で伊賀氏を名乗リ、後に安東氏をとなへ、更に可氏が一豊の甥であるため山内氏を称することを許され、当主は代々山内氏を名乗ったのであるが、明治以降はもとの姓にかえって伊賀を名乗り現在に至っているのである。
このように幾回となく姓を変えているので、安東氏というのがよいか、宿毛山内氏というのがよいか、それとも伊賀氏というのがよいか、いろいろと討議もしたが、現在の伊賀家当主の意見も聞いた上で、本書では一応伊賀氏に統することにした。古記録の上で安東氏、山内氏と出るのもこの伊賀氏であることを了承してほしい。

       山
       内
       盛
       豊
       |
       |       安
 ------------- 東
 |  |  |  |  | 郷
 |  |  |  |  | 氏
 合  康  一  十  通 |
    豊  豊  郎  | |
             | |
             ---
              |
              |
              可
              氏
          (宿毛伊賀氏の初代)
このような関係であるので、伊賀氏を述べるには、その母方の家系山内氏と、父方の家系安東氏の両方を記さなければならない。以下山内氏並ぴに安東氏の先祖、一豊や通や可氏の流転、土佐入国後の伊賀氏の状況等順をおって述べることとする。