宿毛市史【近世編-伊賀氏-伊賀氏の先祖】

北方城

守就、郷氏兄弟の居た北方は、もと美濃国本巣郡北方で現在は岐阜県本巣郡北方町である。岐阜市の西方の平野の真ん中にある町で、岐阜市との間には名鉄揖斐線が通じ、電車で15分の距離の所にある。
この町は人家の周囲はすべて畑か水田で、山地の全くない町である。特産物は米、柿、梨、玉葱、れんげ種等であることからも、この町の立地条件をうかがうことが出来る。
北方城は、この北方町の中にあるが、全然山のない町であるので、その城跡はなかなか見付けにくい。名鉄揖斐線の北方きたがた千歳町駅より約800メートル南東の地点であるが、周囲は人家が点在した畑地で、その中に1アール程の竹やぶがあり、中に北方城跡の碑が建っている。この城跡の高さは、50センチメートル位しかなく、周囲に幅1メートル位の小溝がある程度で、戦国時代の土佐の山城だけを見ていた私たちには城跡というより館跡というのがふさわしいような気さえしたのであった。
現在は、この城跡はわずか1 アール位の広さであるが、当時はここを中心にしてかなりの面積があったのであろう。西美濃三人衆の随一である守就の居城であるので、町全体が城郭であり町を流れる川は堀であり、かなりな設備をしていたと思われるが、それらを物語るものは何も残っていない。
北方城跡には現在左のような標柱と記念碑が建っている。
  標柱  史蹟北  方城阯
  記念碑  
    天文永禄の頃、安東伊賀守守就北方城に拠り、土岐斎藤氏に仕えて西美濃三人衆の一に数へられ、後織田信長に属したが、天正8年秋信長の嫌疑を蒙って城邑を奪われた。同10年6月信長害死の後、守就故城に拠って自立したが、稲葉一鉄に攻められ6月8日落城した。この付近は其の城跡であるから現状のまま保存しましょう。
       昭和15年2月     岐阜県
北方城跡
北方城跡