宿毛市史【近世編-伊賀氏-伊賀氏の先祖】

北方の戦

各地に転戦し、信長の信任の厚かった守就、郷氏兄弟であったが、讒者によって、甲斐の武田氏に内通しているとの嫌疑を受け信長の命により北方の城をあけて、一族すべて武儀郡谷口村に退去した。谷口村は岐阜市街地より、北へ15キロメートルの地点にある山村であるが、ここには守就の妹婿の改田伝右衛門が居たのでそれを頼ったのであろう。
守就の去った北方城は稲葉通朝の領地となっていたが、天正10年6月2日、信長が本能寺で討たれたとの報が伝わると、守就はその一族を率いて北方城に帰って来た。
そのことを聞いた稲葉通朝父子は、兵を率いて6月7日北方城を夜襲した。守就、郷氏等は不意をつかれて、急いで、家臣松田雁助、岡八兵衛等と守備のことを議し、城兵500余人を三手に分けて戦った。夜明け頃敵の攻撃ばますます急となった。守就は80余の高令にもかかわらずよく健闘して数人を斬り、郷氏も弓で数騎をたおし、守就の長男郷良もよく兵を指揮して奮戦し、敵の首数十をあげた。
稲葉の兵が町家に火を放ち、火勢は城楼にせまって来た。そのため守就は弟郷氏達と城を出て城の北西、千代母淵(ちよぽがふち)まで逃れ、なおも自ら下知して奮戦したが、武運つたなく遂に村瀬大隅の弟吉田五郎兵衛の手にかかり戦死した。守就の長男平左衛門郷良は加納悦右衛門に捕えられ、二男郷利、三男郷春、七男賢郷、郷良の長男忠四郎、松田雁助、岡八兵衛等力戦して遂に討死した。
郷氏は兄守就と共に城を出、干代母淵で奮戦したが遂に割腹自刃した。
守就の五男、七郎守重は河渡城にいたが、稲葉一鉄は別の兵を遣わしてこれを攻めた。守重は大力の男で、弓をとって敵兵を射たおし、更に片鎌槍をとって敵兵を数人突き殺したが遂に槍が折れ、石丸権兵衛、須藤権右衛門の両人に討たれた。(岩村通俊『伊賀氏先世略記』による)
北方町の千歳町駅より西方へ約200メートル行った所の字妙建寺裏は、もと千代母淵で、ここには、安東守就戦死の地の標柱が建ち、左のように記した記念碑も建っている。

    伊賀守戦死の地遺跡碑
     北方城主安東伊賀守守就は天文永録の頃西美濃三人衆の随一で、天正10年6月北方合戦には齢80余寡兵を指揮して健闘した。稲葉の兵町家に放火し火勢城楼に迫るや、守就機を察し、弟郷氏等と共に此の地に至り尚も自ら下知奮戦したが、武運拙なく遂に村瀬大隅の弟吉田五郎兵衛の手にかかり一族郎党と共に戦歿した、当所は其遺跡であるから現状の儘保存しましよう。
        昭和16年3月     岐阜県

守就の墓は本巣郡奥村龍峰寺にある。法号は、龍峰寺殿竹厳道足居士である。守就はかつて北方へ龍峰寺を建立していたのであったが、守就等が戦死したとき、それらの遺骸を龍峰寺の住持湖叔和尚が葬ろうとした。稲葉一鉄は家臣村瀬大隅に命じて遺体を馬に乗せ奥村まで送り届け、ねんごろに葬り、その後寺もこの奥村に移したのであるということである。
郷氏の墓については、家譜には「葬る所不詳」とあるが、岩村通俊の『法雲院君山内氏伝』によれば、
「友郷(守就)の墓は開山塔の北に在り。墓に小卵塔を置く、文字無し、塔の背に石碑有り、郷氏君の墓は其の右に在り。碑有りて塔無し。碑の右に小卵塔三座を列す。碑石無し、蓋此友郷(守就)の諸子弟同じく北方に戦歿せし者なり。凡小卵塔四座蓋当時の物に係る。郷氏君兄弟の碑石は則其の後に建立せし所なり。各其の法名を刻し、又天正10年6月8日と記す。寺伝を記するなり。」
とある。北方で戦死した一族のすべての墓がこの龍峰寺にあるのであろう。

安東守就戦死の地 郷氏討死(御納戸記)
安東守就戦死の地 郷氏討死(御納戸記)

      伊賀氏家譜
                          伊
                          賀
                          守
                          定
                          重
                          |
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              安  女  女  女  女  安  安   安
              東  子  子  子  子  東  東   東
           室  太              十  出   伊
              郎  改  島  西  金  蔵  市  北賀
          北北 北左  田  木  尾  森  郷  頼  方守
          方方 方衛  伝  金  豊  五  重  郷  城守
          城殿 城門  右  兵  後  郎        戦就(友郷)
          脱  戦郷  衛  衛  守  八        死|
          出  死氏  門  室  室  長         |
              |  尉        近         |
              |  室        室         |
              |                     |
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  |  |  |  |   |   |                |
  山  女  女  女   安   安                |
  内  子  子  子   東   東                |
  左          一 次 毛 参                |
 北衛  広  乾  深 豊 左 利 次                |
 方門  瀬  彦  尾 に 衛 元                  |
 城可  惣  作  重 仕 門 隆                  |
 脱氏  兵  室  良 う   養                  |
 出   衛     室     子                  |
  宿  之                              |
  毛  為      --------------------------------------------------------------------
  城  室      |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |
  主         |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |  |
            安  女  安  女  女  安  安  安  安  安  安  安
           北東  子  東  子  子  東  東  東  東  東  東  東
           方源     三        半  次  七  太  甚  右  平
           城次  遠  右  竹  木  十  郎  郎  左  左  衛  左
           脱郷  藤  衛  中  下  郎  左  守  衛  衛  門  衛
           出忠  但  門  半  勘  賢  衛  重  門  門  郷  門
           ・   馬  郷  兵  解  郷  門     守  郷  利  郷
           宿   守  純  衛  由     定     吉  春     良
           毛   室     重  室     郷               
           与         治     北     可  北  北  北  北
           力         室     方  長  渡  方  方  方  方
                           城  井  城  城  城  城  城
                           戦  隼  戦  戦  戦  戦  戦
                           死  人  死  死  死  死  死
                              養
                              子