宿毛市史【近世編-伊賀氏-可氏と宿毛】

北方様と妙栄寺

北方様 書状
北方様 書状
山内盛豊の長女通は、天文2年(1533)黒田城中で生まれ天文14年黒田城より美濃の北方に居た安東郷氏に嫁した。時に年13才、元亀2年(1571)には可氏を産んだが、北方きたかたの合戦に敗れて城を脱出、岩手城に逃れ、後に長浜城の一豊に呼ぱれ、掛川を経て宿毛に入った。
可氏の宿毛入城の時に通(北方に居たので北方様と呼ばれた)は、一豊のはからいで、高知より宿毛迄、侍を2人、中村からも侍3人をつけてきた。
北方様は、はじめは河戸の堰ぎわのあたりに住んでいたが、甲州身延山から日信という僧を呼び寄せて法雲山妙栄寺を建立して自分の菩提寺とし、寺領二十石を付け置いた。
北方様は慶長11年(1606)11月15日に没したが法名を法雲院妙栄日通といい、妙栄寺境内に葬られた。
妙栄寺は昭和36年、宿毛電報電話局の敷地となったので、寺及ぴ北方様の墓を市役所の北に移転し、旧妙栄寺跡には北方様史蹟の碑が建てられた。
妙栄寺には、北方様、可氏などの真筆の書状や北方様の使用した茶道具類、野中兼山の妻市に与えられた百石の知行書や市自筆の短歌や俳句等が保存されている。

北方様遺品 北方様遺品 北方様遺品 北方様の墓
北方様遺品 北方様遺品 北方様遺品 北方様の墓