宿毛市史【近世編-伊賀氏-可氏と宿毛】

宿毛城下町の形成

可氏は宿毛入城と共に城下町を造ったと考えられる。可氏当時の城下町の様子を知る資料はないが、可氏入城80年後の『宿茂絵図』があるので、大体の様子は知ることができる
可氏は宿毛土居に居り、その南に重臣たちを配し、更にその南に家臣を配したのである、そしてこれら侍屋敷の西方と南方、すなはち本町と水道町及び牛の瀬町等を町人の町としたのであるが、この時には現在の真丁や新町はまだ家が建っていなかった。
宿毛の町は現在でも町幅が狭く、しかもT字形のゆきづまりの道路が多い。この現在の町並が『宿茂絵図』にもそのまま出ているところをみると、このT字形の道路は、可氏の城下町形成の時に造られたものと考えてよいであろう。宿毛の町全部が城郭であり、敵が一気に土居に攻めて来ないように、つきあたりのT字の道にしたのである。松田川を堀と考えたのか、橋もなく、通行は渡しで行われている。