宿毛市史【近世編-野中兼山と宿毛-兼山遺族の宿毛配流】
兼山遺族の墓所
長男清七一明、次男欽六明継、(三男四男早世)五男希四郎継業、六男貞四郎行継及び、正妻市、養母よめの墓は宿毛字西山の伊賀氏墓域にあり、三女寛、五女将とその生母美濃部つまの墓は宿毛字城山の南端にあったが、昭和44年8月、伊賀家の希望で西山墓地の他の兄弟たちの墓のそばに移転した。(301頁伊賀家墓地参照)
なお二女米は宿毛で病没したが墓所は明らかでない。四女婉は高知へ帰ったので墓は潮江山の先祖の墓地にある。
兼山遺族一覧表 |
続柄 |
名 |
流罪当年 |
配所 |
死 亡 年 月 日 |
享年 |
法 名 |
墓地 |
二女 |
米 |
18才 |
4年 |
寛文7年5月 |
21才 |
不詳 |
不明 |
長男 |
一明 |
16才 |
16年 |
延宝7年6月13日 |
31才 |
正授院厳光良威 |
宿毛 |
次男 |
欽六 |
15才 |
20年 |
天和3年9月2日 |
34才 |
瑞岩院哲陽祐惺 |
宿毛 |
五男 |
希四郎 |
8才 |
35年 |
元禄11年4月17日 |
42才 |
自証院法雨日明 |
宿毛 |
六男 |
貞四郎 |
2才 |
40年 |
元禄16年6月29日 |
41才 |
解了院唯心 |
宿毛 |
五女 |
将 |
3才 |
40年 |
享保6年7月27日 |
60才 |
清耀院即誉浄心 |
宿毛 |
四女 |
婉 |
4才 |
40年 |
享保10年12月29日 |
65才 |
仙湲浄穏大姉 |
高知 |
三女 |
寛 |
7才 |
40年 |
享保14年11月11日 |
72才 |
月光院清白妙浄 |
宿毛 |
妾 |
つま |
|
元禄7年5月2日 |
61才 |
照耀院本誉知善 |
宿毛 |
妻 |
市 |
|
元禄12年7月9日 |
80才 |
栄順院妙性日進 |
宿毛 |
養母 |
よめ |
|
寛文9年5月21日 |
77才 |
玄理院涼屋妙幽 |
宿毛 |
兼山遺子達の罪が正式に許されたのは、嘉永元年1848)6月27日のことである。孝明天皇の御即位の祝のために許されたのであり流罪になってから184年の後のことである。『伊賀家々譜』十代氏固の条に「同年(嘉永元年)6月27日野中伝右衛門惣領清七二男欽六三男希四郎四男貞四郎野中玄蕃妻同伝右衛門妻6人先年先祖御預死去、今般御即位依御祝式被差免之。」とある。