宿毛市史【近世編-土予国境論争-沖の島境界争い】

芦の田の争い

慶安3年(1650)1月4日に島の北東、両国の国境のあしという所で、柏島の木こりが山を出た後に出火、つわぶきを採取する所が焼けた。この焼けた所は伊予分であり、つわぶきをとれずに困っている。そのため土佐の山へつわぷきを取りに行くから、との連絡が、伊予分の庄屋六之進より弘瀬の庄屋源五郎にあった。
土佐側では、早速これを調査したところ、焼けた所は、土佐の土地であり、しかも土佐領のあしの田に、伊予側が麦を作っているのを発見した。そしてこのことを抗議し、ここにあしの田の帰属をめぐって争いが起ったのである。