宿毛市史【近世編-土予国境論争-沖の島境界争い】

兼山の活躍

3月22日の惣寄合以後の野中兼山のすさまじい活躍ぷりをみてみよう。

22日大和殿へ参上、伊豆守にだまされていることを申し上げる。
同日次左衛門殿(町奉行)へ参上、今日はもっぱら河内殿の裁判で、伊豆、豊後、美濃の三老中が同調し、請銭山、屋敷、白岩の海を予州へつけることになったと、今日の寄合の様子を聞かせてくれた。
同日備前殿(町奉行)へ参上、備前殿は、評定所での事は言えないといって教えてくれない。
同日雅楽頭殿(老中)へ参上。
同日蔵人殿(勘定奉行)へ参上、礼を述べる。
23日出雲、蔵人、備前、次左衛門殿へ参上し談合。
同日大和守殿へ参上。
24日備前守殿へ参上。
同日次左衛門殿へ参上。
同日雅楽頭殿へ参上。
25日大和守殿へ木形持参、請銭山のことを頼む。
26日北条安房、上屋敷へ来る。兼山が事情を説明する。
同日夜雅楽頭殿へ参上。
27日夜雅楽頭殿へ参上。
4月1日大和守殿へ呼ばれて参上。
同日雅楽頭殿へ参上。
4月2日兼山は雅楽頭殿へ参上して次のようにお願いした。
 「白岩より小島まで、証文の通り予州の網が入らないように手配して下さい。今日の寄合が、和やかな挨拶であっても、今日は強い語気で、六之進は不届者である。罪にしてもよい者である。といって下さい。北条安房殿は御目付の役目がら、質問がなければ答えないことになっていますので、どのように思うかと質問して下さい。質問があれば心のままに申すことが、すでに申し合わされています。まくうちはえより海境を立てると、河内殿が言われたら、これは新しい決定で、先規ではないといって、どこまでも御大法を破らず、先規のように予州の網を入れないようにさせて下さい。」
同日松平出雲守殿へ参上し、次のようにお願いした。
 「今日は、お城にて大寄合があるとの事ですが、白岩内は証文の通りになるようにして下さい。入相でなく、予州の網が入らないようにして下さい。大和守殿、雅楽頭殿にも連絡しており、合点してくれています。」
同日伊丹蔵人並びに曾根源左衛門をたずね次のように頼んだ。
 「今日の寄合で、地下人の証文を破らないよう強く申して下さい。ことに白岩より小島までの間は、先年よりよせず候と証文にありますので、予州の網が入らないようにして下さい。」

この日城中で多分寄合があり、大論争があったと思われるが、この日の記録は沖の島地堺論その他の史料にもないので、その様子はわからない。
翌3日城中で松平伊豆守たちと酒井雅楽頭が大論争をしている。阿部豊後守のとりなしでやっとのこと白岩内は入相ということになったが、これでは土佐の方が丸々の損だといって雅楽頭は納得しなかった。