宿毛市史【近世編-土予国境論争-篠山国境争い】

篠山国境争い

篠山国堺論定
篠山国堺論定
沖の島の国境問題訴訟の進行の最中、またも篠山国境争いが起り、宇和島藩からは、再び幕府に訴状を提出する事態となった。
これについては、沖の島の国境争いが、不利になりそうになった宇和島藩が、これを牽制し、さらにその不利を挽回するために行なったとの見方もなされているが、先に訴状を出そうとしたのは前土佐藩主忠義であることを考えても、そうとのみは言えないと思う。
とにかく、2つの国境争いが平行してなされたので、両藩はお互いに藩の名誉をかけ、全力を傾けてたたかったのである。
その結果、沖の島の争いは大体土佐側の主張を認め、その代わりとして、篠山の争いは字和島側に有利な裁定となったのである。
この事件についての記録は、かなりな量にのぼっている。高知県立図書館蔵の『篠山国堺論定』8巻、『淡輪記』11巻をはじめ、篠山の麓正木の庄屋のあとの蕨岡家古文書、土佐側の楠山庄屋仁兵衛の家の都築家文書、宇和島伊達家文書等である。これらの資料によって、この事件を記してみたいと思う。資料の大部分は『篠山国堺論定』によったが、その他の資料は出典を明記した。出典を記してないのはすべて『篠山国堺論定』によったものである。