宿毛市史【近世編-文化人と宿毛-文学者の宿毛来訪】

鹿持雅澄の幡多日記

『万葉集古義』の著者として有名な国文学者、鹿持雅澄は、文化14年(1817)8月から9月にかけて幡多路を歩き、その記録として『幡多日記』(足摺金剛福寺長崎勝憲氏蔵)を残している。
それによると、同行は平井茂好。8月10日雅澄の居所高知の福井を出発し、17日には利岡の大庄屋永野浅右衛門橘真蔭の家に行き3泊、真蔭も同道して20日には山田の神主宮部正満の宅に止宿、21日には藤林寺を経て中山の延光寺に宿り、22日に宿毛を経て坂ノ下に宿泊、23日には小筑紫、弘見を経て柏島に泊っている。
その間幡多の各地の名所を見て歌を詠んでいるがその中で宿毛と関係のあるものは次のとおりである。
  沖島          真蔭
 沖の島鵜の住む石に風ふけばよする白浪花とちりぬる
  大島          雅澄
 幸よしと海人の釣舟つるなめていそはき帰るこれの大しま
  雪女墓         真蔭
 雪の如消ても積る雪ならばむかししぬべる袖はぬれじな
  鼓浦          真蔭
 よもすがらとどろとどろとどよむなり鼓の浦にしきるしら波
  松田城         雅澄
 遠人松田の山はふりぬれど昔の人のおもかけぞする
  七日鳥         雅澄
 いざここに7日やどりて七日島ありそのめぐりあくまではみん
  響松          雅澄
 打鳴やつづみの浦の近なれば音のひびきの松のさやさや
  松尾坂         真蔭
 遠人松尾の山を妹がりによひよひこえん関は有とも
  呼崎          雅澄
 飯にえつかりてほもたす里はなしいかでか越んのむと呼崎

鹿持雅澄の幡多日記
鹿持雅澄の幡多日記