宿毛市史【近世編-文化人と宿毛-文学者の宿毛来訪】

北原敏鎌の柏島記

天保15年(1844)11月に、柏島の浦役人に任命された北原敏鎌が、その月の9日に高知を出発して、15日に到着している。
敏鎌は、鹿持雅澄の弟子で、和歌をよく詠み、その道中でも多くのの歌を作っている。その時の紀行文が『柏島記』であるが、『柏島記』の中から宿毛市に関係のある部分を一部ぬき出してみると次の通りである。
 「こよひのやどりは子尽の浦なり。日もくれかかりぬれば、ひびきの松ともいふも、ただ音にききしのみにて過ぬ。板路こゆれば、こづくしのうらなり。
 音にのみききて過にし七日島なぬかやどりてわれも見ましを
 小ぶねこぎいそ辺もとほりなぬかじま見つつあそばばいかによからん
 日ならべて見てましものを七日島たびぢにしあればただひとめのみ
15日、夜あけやどりをいで、家むらすぎきぬれば、そがひに見ゆるいそべの松を見て、あれなむつなかけの松といふと、おしふる人ありけり。いざうれしとたちどまりうち見つつ。
 いにしへのかしこきひとのふねつなぎあそびましけむつなかけの松
 こたへするものにしあらばいにしへを行てといましつなかけの松

柏島記
柏島記