宿毛市史【近世編-文化人と宿毛-伊能忠敬の宿毛海岸測量】

土佐測量の行程

一行の行動は『伊能忠敬測量日記』に詳しく出ているので、それによって宿毛市内の分は、その全容を詳しく記し、他の土地の分はその経路を示すのみにとどめたい。
4月19日、田浦泊、海岸を測量しつつ、安喜、赤岡を経て5月1日に高知種崎町着、2日も高知へ逗留したが、忠敬はこの日より持病の啖咳の発作があり休養した。坂部組は伊予国境に向けて出発し本山、立川を経て国境の笹峰まで測量して8日に高知へ帰っている。伊能組は5月7日に高知を出発したが、間もなく坂部組も合流し、須崎を経て5月21日に志和浦へ着いた。ここで幡多郡の役人達が多勢出迎えている。その後、与津、鈴、佐賀、上川口、田ノ浦、下田、下茅(下の加江)、窪津と宿泊を重ねて測量し、6月2日には足摺岬の金剛福寺脇坊に泊り、清水、三崎、下川口、小才角、西泊、古満目と宿泊しつつ海岸を測量して、6月11日に柏島に着いている。柴川、稲生はここで病気になった。この夜柏島の緯度を32度47分と測定している。