宿毛市史【近世編-幕末と宿毛-宿毛湾の海防】

宿毛湾の海防

寛永15年(1638)2月、島原の乱が平定したが、幕府はキリシタンの手ごわさにきもを冷し、急に鎖国政策を断行した。そして異国船の渡来に神経をとがらせ、各地に遠見番所を造らせて見張りをし、発見した場合には直ちに江戸へ注進させるようにした。
土佐藩でも幕府の命により、各地に遠見番所や火立場、狼煙場が設置された。
寛政以来、異国船の日本近海への出没が激しくなると、海岸線の長い土佐藩では、藩兵だけでは間にあわず、郷士、地下浪人、さては猟師までも動員して、非常の場合にあてるようになった。さらに砲台を築き大筒を備えて海防にあたるようにした。
日本全土おおった黒船さわぎは土佐にも波及し、宿毛湾でも緊張の年月を過したのである。以下宿毛湾を中心として幡多の幕末の海防の実態を述べてみる。