宿毛市史【近世編-幕末と宿毛-宿毛湾の海防】
沖の島の防備
沖の島の砲台並びに大筒についてはすでにふれたが、幕末になると弘瀬でも百姓漁師たちを集めた民兵が組織され黒船来襲に備えていた。沖本白水著『とさおきのしま』には小川良茂談として次のように記されている。
台場 | うそごにあって大砲1門を備えていた。 |
陣屋 | 大三浦の邸を陣屋といった。大砲1門の外武具が多くあった。 |
姻硝倉 | 焼野にあった。 |
調練場 | 今の調練場にあった。 |
民兵 | 52名。 |
これは弘瀬の人より選んだ。各々1挺づつの銃を持っていた。はじめは火繩銃であったが会津戦争の後肩付銃を送ってきた。分捕品であるという。銃の調練は竹の上で行なった。撃剣は三浦の邸で稽古した。洋式教練は調練場で、笛、太鼓で掛引の合図をして盛に行なった。指南番は三浦義和という人であった。
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民兵の札 |