宿毛市史【近世編-近世の沖の島-沢近氏】

沢近氏

沢近家先祖書
沢近家先祖書
母島の庄屋は、はじめは代々弘瀬三浦氏の一族の者がなっていた。沖の島国境争いの時の庄屋土居六之進も、三浦氏の一族である。土居六之進は沖の島国境争いの後もしぱらく庄屋をつとめていたが、宝永5年(1708)2月、宇和島の城下樽屋町に家屋敷を拝領して、そちらに移り、その後へ、岩水浦(深浦湾内にある)の組頭役をつとめていた沢近三郎左衛門が新たに庄屋に任命されて母島に来て、鵜来島の庄屋も兼ねていた。三郎左衛門の子は幼少であったので、外海の庄屋真好八兵衛の2男忠兵衛を養子としその子孫が代々母島の庄屋となり、三郎左衛門の実子は成人の後鵜来島の庄屋となった。
母島の沢近家は、この母島庄屋の後で、御境目由来書をはじめ、多くの古文書が残っており、これらは伊予側から見た国境争いの史料として貴重なものである。