宿毛市史【近世編-近世の沖の島-土佐領と伊予領】

土佐領と伊予領

沖の島本島は、土佐領と伊予領に分けられ、母島、久保浦、古屋野浦は伊予宇和島領で、谷尻、弘瀬は土佐領であった。このため幾回となく国境争いが起り、野中兼山当時、これがついに幕府への訴状となり大問題となったのであるが、この件については沖の島国境争いの項で詳しく述べているので、そちらをみていただきたい。
国境問題が解決しても、お互いの行き来もほとんどなく、婚姻などは絶対にないという状態であった。兼山の弘瀬浦捷をみても、弘瀬の女は他へ嫁してはならない、とはっきり他への婚姻を禁止している。
鵜来島や母島は宇和領であったため、言語も伊予言葉であり、家は赤くぬり、祭りには牛鬼や五ッ鹿が出るなど風俗習慣の中に伊予領の名残りが現在まで続いている。