右の通り浦々へ5人組を取立てることになった。家並5軒に1人の頭をきめて1組とする。各組合の中に、万一心得違の者があって、組中の意見を聞かない者があれば、組頭は庄屋へ届け出ること、組中は1軒の世帯と同様に心得て、昔の通り質素を旨とし、孝心奇特その他きまりを守り、他の模範となるような者に対しては褒美を与へるように、すべて賞罰共に組中へ申しつけるようにすること。これは「前々から申しつけられていることであるけれども、改めてそれぞれ読みきかせて堅く守るように申しつける。」(『土佐藩漁業経済史』)
安政5年(1858)に奉行神山左多衛、大庭毅平の連名で出された5人組についての命令によると、「地下のとりしまリは5人組を立ててあるが、それも名だけになって実際はないも同然になっているので、新に規定を設けて来年殿様が江戸から帰国するまでに、5人組が正しく行われるように心得よ」とあって具体的に次のように示されている。
1. | 隣るもの5軒を1組とし1人を組頭にすること。 |
1. | 組合せのとき端数がでたときは隣へ入れること。 |
1. | 家数が10軒に定りない者は9軒でも1組とする。 |
1. | 10組50軒を1組合とし惣組頭を1人おくこと。もし端数の時は15組までは1組合とする、16組以上のときは2組合とすること。 |
1. | 郷立のときは2ケ村3ケ村で1組合になるほどの小村もあろうが、この場合2、3ケ村で1組合とすること。 |
1. | 惣組頭は帯刀、麻上下を着用すること、5人頭は帯刀、袴着の格である。今まで帯刀御免の者は本田1町以上を耕作している百姓は従来の通りである。但し店屋札や商売札などを持っている者は右の役につくことはできない。 |
1. | 惣組頭は庄屋、老を経ずに直接奉行所へ訴へ出て差支へない。(『大内町史』) |
そこで従来の地下役と5人組との関係はどうなるか。それについて伺書が出され、その答へは『大内町史』によると次のとおりである。
伺‐‐‐‐ | 村浦で、地頭、組頭として給米を遣わして御用と地下用をつとめているが、今回の惣組頭を任命すると今までの地頭組頭は免職とし惣組頭へ遺すこととし、御用地下用とも右の惣組頭につとめさせるようにするかどうか。 |
下知‐‐ | 今までの地頭組頭は免職である。 |
伺‐‐‐‐ | 今までの地頭組頭は5人組の内に入れるべきであるかそれとも除外するのか。 |
下知‐‐ | 組頭は5人組の内に入れて5人頭とすること。惣組頭、老には給米の必要はないが、組頭の内から惣組頭を申しつけるときは今までの給米を遣わすこと、また今まで組頭の取扱っていた御用、地下用とも惣組頭が取扱うべきこと。 |
これら地下役の階級について惣会の申合せとして次のように記されている。
1. | 惣組頭を申渡すときは袴を着用させること、また常に帯刀のはず。 |
1. | 地下中の諸寄合のとき惣組頭、給地組頭、5人頭と席順をきめること。地下浪人で惣組頭となった者でも老の次席のこと。 |
1. | 百姓で本田1町以上耕作の者はたとへ宛地にしておる者でも麻上下着用のこと。また宛り地で1町以上耕作しておる者は麻上下の着用はできない。宛り地の人々は1町以下の場合も同様のこと。 |
1. | 5人組頭ならびに底地1町以下の耕作の百姓は帯刀袴着のこと。 |
1. | 新田1町以上の耕作者は右に同じ。 |
地下人どもは庄屋、老の門内へ下駄ばきで入ってはならないが、惣組頭、五人頭はさしつかえない。なお御役人へ対して用のある者はすべて下駄ばきで入ってはならない。
以上は地下役人に対しての命令であるが、これに対して地下浪人たちへは別に説明した。
「地下浪人は、みな家筋の者で重要な軍備にも加えられる身分であるが、この度は地下人と同じように5人組に組入れられることになったので、不満もあることと思われるので呼び出して役場に於て説明したのである。」(『大内町史』)として5人組の精神について特に述べているのである。