宿毛市史【近世編‐漁村の組織と生活‐浦奉行と分一役】

分一役

分一役人は藩より各浦分に配属されたもので加俸として二人扶持を加えられていた。職掌は積出揚荷物、船舶、漁業の取締りと口銀の取立てが主たる任務であった。
分一金とは漁猟など取上高の何分一を分一として出すものもあり、材木の分一などもあったが、分一金は郷帳にはのせなかった。しかし分一の品によっては、前々から小物成として定納になっているものもあった。定納になっているものは分一も郷帳に記した。「種々の品数多くて数へがたし」(『地方凡例録』)とあるが、この分一役は浦々に駐在しその定員は時として一定しなかったが1人または2人であった。「1ヶ浦2人持にて1人宛相詰むる筈」(文政11年2月)とある。
 1.浦々網代は先規より入相、或は申定めのある所は先例の通り、たとえ浦つきの網代でも猟具のない場合は他浦の者が入って漁猟しても差止めてはならない。若し網代の分一を取る例があれば先例の通りとする。
 1.新浦を開いたときは5ケ年は諸猟無税とする。定めの年数が過ぎた時は検査の上分一を定めること。
 1.新網及ぴ猟船を自力で造った場合は分一を1ケ年免除する。
 1.新塩浜は3ケ年は免除のこと。
廻船を他国へ売るときは船材の如何によって4年ないし5年の制限をうける。制限年数内に売却すれば代銀の五分の一を税金として差出さなけれぱならない。
   漁猟分一定
 1.大網   十分一
 1.釣猟   五分一
 1.小物類  五分一
また木材、挽板及び若木、松根、松節は五分一、薪炭類は七分一とし船積みのとき課税される。「諸品分一の儀、役人下代は勿論、庄屋年寄相見を以て紛れなく正しく之を召上げ、時刻を移さず判取浜帳にこれを記し、荷主並びに庄屋年寄の内証判これあるべき事」とあるのが徴税手続である。他浦または他国へ船積みするとき課せられるものを分一銀と云い、分一銀を徴収するものを分一役と呼んだのである。
漁猟税は口銀と云い、漁船、網船に銀三分、鰹船には銀一匁、生魚漕出買船には銀四匁五分、その他廻船、市艇、城下往来小船など船種により船税が課せられた。
船舶管理としては廻漕船に対する手板(船鑑札)の交付で船の仕様、所有者の氏名、積荷の種類、仕向先を記入したものを渡し、禁制品の出入を厳重に取締ると共に口銀の徴収につとめたのであるが、安政年間(安政4年魚揚場取扱規定)以前には、廻漕船の出入の度毎に船主より御酒料として銭二匁の役得料を得ていたものである。(『土佐藩の法制』)